ここで、横浜スタジアムの立地について考える。あの位置は、実は「昭和の横浜」と「平成の横浜」の結節点ととらえることができるのだ。
「昭和の横浜」、つまり、伊勢佐木町や曙町、黄金町、野毛、元町など、昭和歌謡で歌われたトラッドで猥雑な横浜。
対して「平成の横浜」とは、平成元年(1989年)に開催された「横浜博」以来の「ヨコハマ」=みなとみらい、ランドマークタワー、クイーンズスクエア、コスモワールド、ワールドポーターズ、などなど。
「平成の横浜」に向けたマーケティング
「昭和の横浜」と「平成の横浜」のせめぎ合い。その中間で、DeNA傘下となる前のベイスターズのマーケティング戦略が、ずっと宙ぶらりんになっていた気がする。例の1998年の優勝のときも、ユニフォームは、トラッドとポップの中間的なもので、せめぎ合いに対して、明快な判断がなされていなかったと見る。
対して、今のユニフォームは、「平成の横浜」を体現したデザインだ。あのユニフォームに象徴される、ポップでカラフルな世界観が、平成生まれの、1998年の優勝もよく覚えていない、ましてや「ヨコハマ・チーク」も「ブルー・ライト・ヨコハマ」も知らないような世代を、がっちりと取り込んだことが、ベイスターズのビジネス的成功に貢献したのではないかと見るのだ。
ビジネス改革にあたって、「昭和の横浜」に強烈なプライドを持つ、旧世代のステークホルダーも多かっただろう。しかし、そんな古ぼけたプライドを排除し、関内駅からみなとみらいへの方向の世界観に照準を定め、「平成生まれのハマっ子」向けにマーケティングを転換したこと。これが、「意外」かつ、実は「本質的」な成功の理由ではないかと考えるのである。
冒頭に書いたような小学生が、今シーズンも多数つめかけていた。私は、日本シリーズ第3戦(10月31日)に足を運んだのだが、隣の席の小学校低学年の少年は、終始狂喜していた(初回攻撃に盗塁死が2つという、ベイスターズファンには、ストレスがたまる試合だったにもかかわらず)。
そして、野球好きオヤジは、子供たちの歓声とスタジアムの演出が織りなすポップでカラフルな雰囲気に多少気後れしていた。それでも、「平成の横浜」に向けたマーケティングが、プロ野球界の未来を切り拓いていくのであれば、こんなにうれしいことはないと思ったのだ――この「子供っぽさ」とは、「未来っぽさ」なのだから。
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