1日1億円を売った実演販売士の傾向と対策 達人の口上は確固たる理論で成り立っている

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――見切りが早い(笑)。

松下氏:「ここにいたら自分らしくいられない。暗い性格になってしまう」と思ったんです(笑)。この頃から、自分に向いていないと思ったら早々に諦めて、できることだけを粛々とやる、目の前の課題に対して「傾向と対策」を練るような性格を持っていました。よくこの仕事をしていると、「昔から明るい性格だったんですね」と言われます。確かに半分は当たっているのですが、もう半分はちょっと違います。というのも、ぼくは小さい頃から、いつも相手が何を思っているかを考えながら話すような、人目を気にしすぎる性格だったんです。

卒業アルバムにも、将来の夢はサッカー選手と書きたいところを、なれなかった時の「周りの反応」を気にして、“保険”として「有名人」と書いていたくらいです。なんとかクラスでは「そこそこ面白い奴」として認められ、かつサッカー部のキャプテンという地位を築いた自分でしたが、この頃、誰にも言えないある悩みを密かに抱えていました。

思春期を迎える男の子なら誰もが抱える悩みであり、今思えばそんなに大したこともなかったのですが、当時の自分としては一大事だったんです。キャプテンとしての体面も保たなくてはいけないため、気軽に誰か友だちに相談することもできず、コンプレックスを抱えながら人知れず葛藤する日々を過ごしていました。

――人には言えない、リーダーなりの悩みを抱えていたんですね。

松下氏:そんなコンプレックスを持っていた自分を救ってくれたのが、ラジオでした。当時放送されていた、『オールナイトニッポン』が大好きで、録音してずっと聞くくらいハマっていたんです。特に、シンガーソングライターの石川よしひろさんがパーソナリティを務める回では、彼の「弱み」を「笑い」に変えていくトークが衝撃的だったのを覚えています。その番組のおかげで、次第に「コンプレックスは隠さず、どんどん出していってもいいんだ」と思えるようになったんです。

この頃になると、将来の夢もサッカー選手から、放送作家や芸人さんなど、テレビやラジオで活躍できる人に憧れを持つようになっていきました。高校に入って一応続けていたサッカーも、目標はあくまで「準決勝まで進んでテレビ神奈川に映ること」になっていたくらい、テレビやラジオの世界に憧れを抱くようになっていましたね。

頭角を現した売り子時代

松下氏:高校3年生になり、そろそろ受験ということで、自分は日芸(日本大学芸術学部)の演劇学科を目指していました。目指していたといっても、TBSラジオのパーソナリティだった爆笑問題さんの出身校ということに憧れていただけで、ほとんど勉強はしていませんでした。案の定、受験に失敗してしまい、一年間浪人することになったのですが、この間に今に繋がる経験を積むことができたんです。

当時、横浜の予備校に通いながら、その間アルバイトとしてやっていたのが、横浜スタジアムでのコーヒーの売り子でした。野球の試合では、ビールと違って、コーヒーなんて普通に売っていても、20~30人程度しか買ってくれません。完全歩合制で、とにかく効率的に稼ぎたかった自分は、ここでもどうすればよいか「傾向と対策」を考えました。ただ売れるのを待つだけでなく、自ら売りにいくにはどうすればいいか。そうして考えた結果生まれたのが「観客と一緒に応援すること」でした。

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