東名で夫婦死亡、25歳男を殺人罪に問えるか 「過失運転致死傷罪」で逮捕された理由

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なんとなく車を停車させる行為から死につながる連想はできず、認められないようにも思います。しかしながら、少し事例を変えて「電車の踏切で前を塞いだまま後続車両を停車させ、降りてきた2人が電車に跳ねられて死亡した」という事案だったらどうでしょうか。踏切で前を塞がれてしまうことは、タイミング次第ではほぼ死を意味するようにも感じられ、「殺人」という単語がリアリティを持ってきます。

高速道路の追い越し車線の場合はどうなのでしょうか。私は停車位置、降りたときの立ち位置次第では踏切と比肩すべき相当な死の危険があると考えます。少なくとも、家族と一緒に高速道路の追い越し車線で停車して車から降りることと、自分の全財産を失うことのどちらかを選ばなければならなければ、後者を選ぶでしょう。前者は命そのものを失ってしまうリスクが限りなく高いからです。

加えて本件については、トラックの運転手の過失も当然問題にはなります。現場の見通しにもよりますが、東名下りの大井町付近であればそれほどカーブがあるわけでもなく、実をいうと「トラックが法定速度を超えており、ドライバーが法定速度を順守していればブレーキが間に合ったかもしれない」という可能性があるかもしれません。

一方で、高速道路の追い越し車線では20キロメートル以上の速度違反をしている車両も多いというのが現実にあります(私はそう思います)。それを織り込むとさらに「停車させる」行為と死の結果は近づきます。状況次第では、車を停車させる行為が殺人行為に当たるというケースはありうる気がします。

「死ぬかもしれない」と予見できていたか

このとき、容疑者が「死ぬかもしれない」という点まで具体的に予見できていたのか、という点がさらに問題があります。読者の皆さんは「死の危険があることは当たり前だろう」という感想を持たれるかもしれません。しかし、事件現場で感情的になっている当事者にとって、どこまで結果を予見して行動できていたか、どこまで合理的に判断ができていたかというのは容易に判断できる問題ではありません。仮に客観的な行為が認められるケースでも殺意がないという可能性も十分考えられます。

そうした容疑者側の主観についての危惧感もあってでしょうか、警察関係者からの情報として、「1カ月前にも3台に走行妨害をしている」といったニュースが伝えられています。こうした観測気球を上げることで、男性の過去の行為についての証拠があぶりだされる効果を狙っているのかもしれませんが、この過去の情報の正当性については担保がありません。

それが事案の重要な側面を伝える情報であったとしても、適正な手続きによらず「リーク」という形でマスコミに流され、世論が誘導されるあり方については疑問があります。

ただ、実際に検察官が妨害運転致死や殺人で本件を起訴する可能性はあまり高くないと考えます。「無罪」や「認定落ち」(犯罪の一部が認められず、起訴したものと別の罪について認められること)の判決が出ることは検察官にとって組織内で大きな仕事上の失敗と見なされます。よほど社会に警鐘を鳴らす必要がある場合を除けば、あえて適用が微妙な妨害運転致死傷や殺人で本件を起訴するのは相当難しいといえます。

法律は緻密にできているようで、やはり立法者の想定外の行為の部分については穴がつねにあります。また、社会は刻々と移り変わり、想定しなかったような事態も次々と発生してきます。そうした状況についてどのような責任が適切か、冷静に議論と検討を続け、法や判例をアップデートしていくことがフェアな世の中の基礎になると考えます。

田畑 淳 溝の口法律事務所所長

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たばた じゅん / Jun Tabata

東京大学(私法コース) 慶應義塾法科大学院卒業。2007年弁護士登録。東京と横浜の法律事務所で勤務ののち、2010年川崎市溝の口に事務所を開設。2015~2017年にかけて川崎支部幹事。中小企業の支援を中心に、不動産問題、家事事件などを幅広く手掛ける。

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