38歳、大阪で「魔女を名乗る男」の非凡な人生 ライブハウスなど運営する実業家の商才

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しゃにむに頑張ってとてもしんどい日々だったが、それでも楽しかった。収入は増えていったが、使うヒマもなかった。お店を作るにあたり、兄に120万円借りていたのだが、なんと8カ月で返し終わった。

「なんば白鯨」は15人も入れば満席の小さいハコだ。欲が出てもう少し大きい場所を作りたいなと思って探していると、同じビル内にもくろみどおりの物件を見つけた。最初は移転しようと思ったが、いざ「なんば白鯨」を手放すとなると惜しくなった。

「2店舗経営で行けるところまで行って、無理になったら1店舗潰そうと思いました」

そうしてできたのが「なんば紅鶴」だった。70人以上入る比較的大きいライブハウスだ。お笑いライブ中心の「なんば白鯨」と差別化するため、サブカルチャーのトークライブを中心にコンテンツを作っていった。

「なんば紅鶴」を始めるにあたり、「なんば白鯨」は従業員に任せることにした。中途半端に手伝うと共倒れになりそうな気がしたので、完全に投げきってしまった。

価値の再発見をしたかった

「なんば紅鶴」は、大阪ではトークライブ文化がなかったため、出役も客も慣れておらず当初は苦戦した。ただそれでも、集客重視だけを狙った安直なコンテンツは作りたくなかった。

「小さい頃からのあまのじゃくな性格が出ているんでしょうね。よそでやれることは、うちでやらなくてもいいやって。ほかのハコではねのけられた人たちにこそイベントをしてほしかった。価値の再発見をしたかったんです」

よそでやれることは、うちでやらなくてもいい(筆者撮影)

苦戦しつつも1年間も続けていると、レギュラーで出演してくれる演者が固まってきた。店長をしてくれる人も見つかったので、再び距離を置いて見守る形にした。

2店舗ともライブハウスなので、イベントが終わるまでは店内でゆっくり飲めない。自分自身がくつろげる場が欲しいと思い、3軒目は「BAR群青海月(ぐんじょうくらげ)」というバーを作った。

大学の文化祭のときに知り合ったガラス職人が、自分の食器だけのお店を作りたいと言っていたのを思い出し、コラボをする形で開店した。お笑い芸人などB・カシワギさんの知り合いが、日替わりのバーテンダーとして働くお店になった。

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