父の病死を乗り越え、久米一社長がこうしてスムーズに事業継承できたきっかけは、2代目・幸雄氏の担当医からの一言にあった。担当医は、1996年夏に幸雄氏に対し余命半年を宣告するにあたり、息子の久米一氏に相談。その際に「いずれ社長になるのだろう。であれば、早急に覚悟を決めるべきだ。この半年でちゃんと事業を引き継いで会社を守りなさい」との言葉を添えたという。
この助言もあり、常盤堂の事業承継は計画的に行われた。通常、社長交代する際は、先代が会長職となり残留するケースが多く、引き継ぎがあいまいになることがある。しかし、常盤堂は2代目の余命が限られていたからこそ、迅速に事業承継が進んだのだ。
財務的にも、足元では安定化を図っている。老舗企業といえば、長期間の利益蓄積により自己資本比率が高いという印象がある。帝国データバンクの資料でも、創業から100年以上経過している企業の自己資本比率は平均約27%となっており、全体平均の約25%より約2ポイント高い水準となっている。しかし、常盤堂は前述のとおり、バブル崩壊後の痛手があるため、自己資本比率は決して高い水準ではない(数字は非公表)。全体平均と比べても、若干下回る水準だ。それでも、今は本業で利益を生み、営業利益率は4%超。業界平均約2.6%と比べると、これが高い水準であることがわかる。
浅草の街と「運命共同体」
どの企業においても、長い活動期間の中で、財務が毀損する時期はある。仕方のないことだ。ただし老舗と呼ばれる企業は、こうしたピンチを挽回する力を持っているのだ。
改革、改善、革新――。「老舗として生き残るには変化し続けることが必要」ということは、よくいわれる。常盤堂も、数々の改革を経てこそ今があるのは間違いない。しかし、何でもかんでも変えてしまうのはいかがなものか。何があろうと根強く継承していかなければならないこともある。
常盤堂にとってのそれは、「浅草とともに生きていくこと」である。これは代々受け継がれている信条で、いわば家訓のようなものだ。浅草の商店を支えているのは、生まれも住まいも浅草の地元商人たち。この街の発展が、個々の利益につながり、衰退が損失につながる。こうした運命共同体の中で、認められた存在であるからこそ、常盤堂の看板は輝くのだ。
久米一社長は、週末になると本店で雷おこしの実演販売に立ち、浅草を歩けば多くの歩行者から声を掛けられる人気者。天国で見守る先代社長らも、浅草にどっぷり染まった社長の姿をみれば、数々の経営改革に文句は言わないだろう。老舗企業は、こうした家訓により暖簾を保ち、数値だけでは計り知れない不思議な魅力をまとっている。
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