田中角栄×周恩来「尖閣密約」はあったのか 日中問題は45年前の智慧に学べ

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中国大使として、尖閣の国有化は日中間に大きな影を落とすと、強く進言していた私としては残念でならないことだった。

領土問題は古今東西の歴史を見ても、国民感情を激化させやすい問題だ。尖閣諸島など知らない中国人にとっても、日本が国有化したことで事は一気に領土問題となって噴出した。それが上海市をはじめとした中国主要都市における抗議デモと、一部日系企業への襲撃につながった。以来、尖閣問題は領土問題となったままである。

一貫していた周恩来の意図

1950年、シベリアで5年間抑留された日本軍兵士のうち、約1000人が中国の撫順に送られてきた。

「シベリアに残っている約2500人の捕虜の中から、中国で重い罪を犯した者1000人を送るのでその処理を行ってはどうか」というスターリンの提案を受け、戦犯容疑者1000人は撫順戦犯管理所に収容されることとなった。周恩来がその総責任者である。

周恩来は「戦犯といえども人間である。人間である以上、その人格は尊重されなければならない。戦犯たちを殴ってはいけない。蹴ってもいけない。ひとりの死亡者、ひとりの逃亡者も出してはならない」という方針で戦犯の処置を徹底するように命じた。

撫順戦犯管理所では、十分な食事が与えられ、強制労働もなく、医師による検診も行われた。中国人所員は戦犯たちに対して礼儀正しく丁寧だった。

しかし、過去に日本軍による虐殺事件があった撫順の中国人にとって、相手は恨み骨髄の日本人戦犯である。それでも所員たちは周恩来の指示に従い、内心の怨みや怒りの感情を抑え、決して戦犯を手荒く扱うことはなかった。

1956年、戦犯たちに判決が下る。有罪は45人、残りは全員不起訴となり釈放、極刑はひとりもいなかった。重大な犯罪以外は不起訴として日本へ帰すというのが、周恩来の指示だったからである。

戦犯裁判を担当した検事が、戦犯に寛大すぎると周恩来に抗議に来た。そのとき周恩来は、「日本人戦犯に対する寛大な処置については、20年後に君たちも中央の決定の正しさが理解できるだろう。侵略戦争で罪行を犯した人が十分に反省し、その体験を日本の人々に話す。われわれ中国共産党員が話すより効果があると思わないかね。日本の人民もきっと納得する」と諭したという。

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