田中角栄×周恩来「尖閣密約」はあったのか 日中問題は45年前の智慧に学べ

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日中国交正常化交渉を行う田中角栄、毛沢東、周恩来(写真:Tungstar/アフロ)
日本が国有化してから5年を迎えた尖閣諸島周辺では、中国の公船による日本領海への侵入が繰り返されている。日中改善を拒む尖閣諸島問題を解決する道筋はいまだ見えない。
緊張高まるアジアの安全保障を守るために知るべき歴史の教訓を、戦争体験者や軍事専門家に話を聴いてまとめた『丹羽宇一郎 戦争の大問題』を出版し、中国に精通している、元伊藤忠商事社長、元中国大使の丹羽宇一郎氏に語ってもらった。

45年前の田中訪中で最後の壁だった尖閣諸島

『丹羽宇一郎 戦争の大問題』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

今日9月29日は、日中政府が「日本国政府と中華人民共和国の共同声明」に調印し、両国の国交が正式に正常化した日である。今年は日中国交正常化45周年にあたる。

私は45年前にはアメリカにいた。その年は2月に当時のアメリカ大統領リチャード・ニクソン(1913~1994年)の訪中もあったのだが、私の実感では「田中訪中」がアメリカ国内で大きな話題となったという印象はない。

一方、日本では日中国交正常化は大ニュースであった。その年の10月に2頭のパンダが上野動物園にやって来たこともあり、日本人の多くが中国に関心を持った。この頃の日本人の多くが抱いた中国観は、かなり牧歌的なものだったように思う。

田中角栄(1918~1993年)が、戦後初めて日本の現職総理大臣として中国を訪問したのは1972年9月25日である。中国の周恩来(1898~1976年)首相(当時)との首脳会談は4日間続いた。

周首相は日本に対する戦時賠償請求を放棄し、日米安保には触れないことを田中角栄首相に告げた。両国の話し合いは細部で厳しいこともあったようだが、途中、田中・毛(毛沢東、1893~1976年)会談を挟み、小異を捨てて大同につく方向で合意に向かって進んでいった。

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