田中角栄×周恩来「尖閣密約」はあったのか 日中問題は45年前の智慧に学べ

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矢吹氏は、「棚上げ」の合意文書が残っていないのは、外務省が削除したからではないかと疑惑を提起している。文書がない以上、棚上げはなかったというのが外務省の言い分であり、その言い分を大使時代の私も守っていた。しかし、大使の立場を離れた現在の丹羽宇一郎個人の見解としては、やはり「棚上げ」合意はあったのだろうと考えている。

田中角栄の政治的反射神経に学べ

田中角栄は日中の戦後にひとつの区切りをつけ、両国を未来志向の関係に導いた政治家といえる。中国では依然として田中角栄の評価は高い。

1972年7月25日、公明党の竹入義勝委員長(当時)が訪中し、周恩来首相と会談した。竹入委員長は帰国後8月4日に周恩来首相との会談の結果を携え、田中首相のもとを訪れる。伝えられるところによれば、中国も日本との国交正常化を求めている、戦時賠償請求はしない、日米安保条約についても触れない、日本は中華人民共和国を正統とした一つの中国を認めるといったものだったという。

竹入・周会談の結果を好機ととらえ、田中首相はすぐに訪中に向かって動き出した。機を逃がさず動き出したのは、田中角栄の政治家としての反射神経であろう。政治の世界でも、ビジネスの世界でも、トップは石橋をたたいているだけでは務まらない。

すべての条件が整うのを待っていては機を失うこともある。渡るべきときには、英断をもって渡るという決断力と行動力がトップには求められる。田中角栄の反射神経は周恩来との首相会談でも発揮された。

周恩来の「棚上げ」論に瞬時に反応し、「それはそうだ、じゃ、これ(尖閣問題)は別の機会に」と話を引き取りまとめたのは、田中角栄の政治家としての反射神経に支えられた応用動作といえよう。

役人は段階を踏んで事を進めようとする。役人はそれでもよいかもしれない。しかし政治家にとっては、田中角栄が見せたような、時に飛躍と見える英断と機敏さが、問題を解決するために必要となる。

「棚上げ」論は、田中首相にとって両刃の剣であった。領土問題をあいまいにしたまま共同声明に調印したことで、日本国内や自民党内の右派勢力から突き上げられることを覚悟しなければならない。最悪の場合、世論の反発を買うおそれもある。自民党内には、依然として根強い台湾シンパの存在があり、巻き返しを狙っていた。

決して万事が順調に進むとは見えない状況であったが、それでも日中の両国の発展のためにはあえて「棚上げ」を選んだ。それが田中角栄の決断である。

ひるがえって尖閣問題が日中間のデリケートな問題であることを知りながら、安易に国内問題として国有化に舵を切った民主党政権の応用動作は田中角栄に較べ見劣りがする。胡錦濤主席(当時)と直接言葉を交わし、国有化反対の意思を聞いたにもかかわらず、国有化の手続きを継続した野田佳彦首相(当時)の一連の動きを見ると、あまりに反射神経が鈍かったと思わざるをえない。

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