本質的問題:一部の人物を選んで、後は1億総忘却
私は今回、芸能界のベニオク詐欺騒動についてモノ申してきたわけだが、本質的には以前の相撲八百長問題や、芸能界のヤクザとのつながり問題、ひいては日本の政治や外交、企業統治上の問題点と共通したトピックを扱ったつもりだ。
政治家で批判されるべき人が批判されずに、一部のスケープゴートに批判が集中して本質がおざなりになっていること(たとえば民主党の失策が猛烈に批判されてきたわけだが、巨額の財政赤字も消費税の増税も法人税引き下げが進まないことも、年金の破綻もすべて自民党の長年の無策に起因している)、議員が失言や失政で何度辞任に追い込まれても、別に国民が望んでいないのに政治家の仲間内でポストが回り、同じ議員がいつの間にか復活していること(麻生さんが財務大臣というのも驚きだが、ポスト安倍を狙っているって本当だろうか)、企業幹部や政治家が問題を引き起こしても、あいまいな謝罪で反省なくおざなりになってしまっていることなど、“物事をあいまいにして、先送りして忘れられる”ことに甘んじていることが本質的問題だ。
本来ならば問題の本質を把握して深く反省し、真摯に向き合い、説明責任を果たすことで社会復帰を果たすべきである。しかし何事に関しても一部の人物に批判を集中させ、ほかの同罪の多くの人々は忘却を選んで普通に水に流す癖が、日本社会の集団的学習能力を著しく低下させているように思えてならない。
……などと、“熊田曜子、写真集を発売!”のニュースをスマホで見てふと思い、シンガポールの彼方からはるばる、ぶつぶつと書きつづるのであった。
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