「ほしのあき、ペニオク詐欺の会見での釈明なきまま、友人のブログに頻出」
「熊田曜子は、ペニオク詐欺の謝罪無しで復活」
「極楽とんぼ加藤、相方、山本の復帰を懇願」
「みのもんた、生放送中にセクハラか?!」
なんか、一見どうでもいい問題なのだが、なんなんだろう、このもやもやとした怒りの感情は……。たとえばペニオクに関して言えば、ほかにもピースの綾部祐二、永井大など多くの芸能人がこのペニオク詐欺に手を染めたとうわさされている。しかしテレビに出てきて謝罪した小森純だけが袋だたきに遭って、ほかの芸能人は“だんまり”を決め込み、どさくさに紛れて事務所の力か、静かに復活するようになっている。
こういうとき、芸能人やテレビ局、芸能事務所は世間のほとぼりが冷める方法”を考えがちで、視聴者やお客への不誠実な犯罪行為を自主的に詫びようとはしない。問題の反省や解決より、忘れさせることを選ぶのは、何かにつけて共通する日本社会の重要な問題点でもある。
人知れず復活するのが、いちばん卑怯
先日の来日中、ヤフーニュースで見て驚いたのだが、ほしのあきがママタレント友達のブログに徐々に登場するようになっているらしい。ペニオク詐欺に加担した芸能人が多い中で、カメラの前に出てきて謝罪し、集中砲火を一身に浴びた小森純さんは、別にわたしは彼女が立派だとは言わないが、相対的には責任を果たし、社会的制裁も受けている。
しかし小森さんだけがカメラの前でこてんぱんに批判され“ペニオク詐欺のキリスト”のごとく、独りで十字架にかけられ芸能界から抹殺され、ほかの共犯者とでも呼ぶべき人々は何のおとがめもなく、人知れず復活を果たそうとしているのは、そのやり方が卑怯ではないか。熊田曜子さんなどは謝罪もないまま時間を稼ぎ、今では写真集も出し、テレビ番組にも復活してきているという。
人は過ちを犯す生き物だが、過ちを犯したときにその人の真価が問われるものである。この局面で大半の芸能人がだんまりを決め込み、単にほとぼりが冷めることだけを選んだのは、彼女たちの弱さの本質を浮き彫りにしていると言えるだろう。
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