農業は思いのほか性に合った。専門は野菜全般。中でも得意なのはナスとニンジンである。ダイスケさんは「施肥の管理や、脇芽などを間引くタイミング。頭を使って手間暇をかけると、ちゃんと成果が返ってきます。農業はクリエーティブな仕事ですよ」と言う。
専門学校を卒業後、農業法人に就職した。正社員で、年収は約145万円。農作業のほかに直売店舗の切り盛りを任されることもあり、このときは、朝3時に起きて市場で野菜を買い付けると、夜9時の閉店まで、休みなく働いた。残業代はなし。はたから見ると、いわゆるブラック企業だが、ダイスケさんは「このときは楽しかったです。1ヘクタールの土地の管理をすべて任されたんですから。ニンジン栽培のコツを教えてくれたのも、ここの社長でした」と振り返る。同僚の女性と結婚したのも、この頃だ。
2年後、妻とともに知人のツテがあった四国へ移住。地元の農業法人に勤めながら、独立のための資金を貯め、新規就農者向けの国の給付金を受けるための準備を進めた。
しかし、ここで致命的なトラブルに見舞われた。給付金を受けるには事前に農地を準備することが条件で、通常は自治体や農業委員会などが間に入り、空いている民有の休耕地を紹介してくれる。ダイスケさんも地元の市役所から約1ヘクタールの借地を提示されたが、申請直前になり、そこが、元の所有者が亡くなった後の相続登記手続きが完了していない土地であることがわかったのだ。名義が未変更の土地では、給付金は下りない。
「会社(農業法人)にはすでに辞めると伝えてしまった後でした。最初、市役所からはすぐに利用できる土地と説明されました。ところが、後になって相続者は複数おり、中には連絡が取れない人もいて、手続きが完了する見通しが立ちそうにない、という話になって……。給付金があれば、年間150万円を5年間にわたって受けることができたのですが、結局、自己資金100万円だけで見切り発車するしかありませんでした」
「行政のミス」で貧困に転落
複雑に入り組んだ土地の権利関係を、所有者でもない個人が整理することは難しい。穏やかな人柄のダイスケさんははっきりとは言わないが、完全に行政側のミスである。これを機に生活は貧困へと転落した、という。
飲食店などでアルバイトをしながら、当初、予定していた借地でナスとニンジンを育てた。夜間も気温35度を超える四国の夏をエアコンなしで乗り切り、医療費を抑えるために歯痛をこらえながらクワを振るった。しかし、赤字はかさむ一方。貯金が20万円を切ったとき、「このままでは、再スタートも切れなくなる」と、四国からの撤収を決意した。移住からわずか2年後のことだったという。
2015年2月、雲ひとつない快晴。軽自動車と軽トラックに家財道具を積み込み、東名高速上りをひた走った。正面に山肌の半分ほどが雪で覆われた富士山が見えたとき、「ああ、戻ってきたんだ」と、胸中に安堵と失望が交錯したことを今もはっきりと覚えている。
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