「安部公房とわたし」の真実 女優・山口果林に聞く大作家の実像
没後20年経って、ようやく書けた
東日本大震災以降、死ぬまでに何かやり残したことはあるかな、と自分に問うたんです。そのときに、安部公房さんとのことを自分の手で書こうと。これは最後の1冊。もう書きません(笑)。
今回、本を書いているとあっという間に12時間たっていたりして、その集中力はそばで安部公房さんの執筆活動を見ていたせいかな、なんて思ったりもします。徹夜して本を読破していく姿を見たりしていたことが、私の中に何か残っていたのかなと…。
担当編集者からは「この本は、安部公房さんはしからないと思います」と言っていただいて。うれしかったですね。
――しからないというのは、内容にうそがないから?
山口果林の自分史というスタイルなら、私生活のエピソードを書いても許されるかな、と思ったのは、お茶の水女子大学附属中学校・高校時代の同級生の存在があります。彼女は被爆者に自分史を書いてもらう活動を続けています。原爆投下から65年以上経ちましたが、「今だから書ける」とおっしゃる人がいまだにいるそうです。当初は、差別されるのが怖い、自分だけが生き延びたことが申し訳ないと、口を閉ざしていた人が多かった。時が、年月が傷をいやしてくれるんですね。
安部さんが亡くなってから20年経ちました。私も今回、この本を書き終えて、残りの人生を新しく生き直したいなという気持ちも生まれています。
人生で選択した責任は自分が背負っていかないといけない。不倫だろうがなんだろうが、背負って生きるという覚悟を決めれば、別に罪を犯したり人を殺したりしたわけではないなら、それはその人の選択。私も後悔していません。
――もし安部さんと結婚していたら。
それでも女優は続けたいと言っていたと思います。ただ、結婚には向いていなかったかもしれない、お互いに(笑)。不倫だけれども、お互いに仕事を重視して、構われるのが好きじゃない2人だから、いい関係でいつづけられたかなと思っています。
――遺言はなかったんですか。
うーん…。(本人は)書く話はしていました。書きませんでしたけれど。
――死ねば炭酸カルシウムになるだけだと話していたんですよね。
モノに返るだけ、って言っていましたし、それは本心だったと思います。非常に科学的な人。アインシュタインは「あの星になるんだ」というくらいのロマンチックさはあったと思いますが、安部公房さんはもっと即物的だった。私もそう。
ただ、安部さんが倒れる前に私の母親のほうが先に倒れていたので、「え、まさか」と思っていたんじゃないかな。「まさか、僕が先か」って。そんな気もしています。
(撮影:田所 千代美)
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