「東京パラリンピック」が真にスゴいその理由 五輪を超える「レガシー」生む巨大な可能性
ある会議の終了後のこと。パラリンピアンの大日方邦子さんと一緒になった。大日方さんは、チェアスキー(主に下肢に障害がある人が行う、座って滑るスキー)の選手だった。1994年のリレハンメルから2010年のバンクーバーパラリンピックまで5大会連続で出場し、2つの金メダルを含む10個のメダルを獲得した。河合さんと並ぶパラリンピック界のレジェンドだ。
3歳の時に交通事故で右足を切断、左足にも障害が残った大日方さん。移動には、車のほかに車いすや義足、杖を使う。はたから見る分には移動に不自由や制限を感じさせない、実にアクティブな女性である。
車で来ることが多い大日方さんだが、その日は珍しく、杖を使って歩いて会場まで来ていたので、帰路、会場から地下鉄の駅まで一緒に歩いた。
歩くスピードも私とほとんど同じで、こちらが気にする必要もない。駅の近くに着いてエレベーターを探したが、エレベーターは大きな交差点の対角にしかなかった。大日方さんは「エスカレーターで大丈夫」と言う。一緒に近くにあったエスカレーターを使って、改札、ホームへと進み、何の問題もなく地下鉄に乗った。
その後、乗り換えの際にエレベーターを探したところ、またしても遠い。ホームの反対側の端にしかなかったのだ。「あそこまで歩くのは、かえって大変」という大日方さんと、近くのエスカレーターに乗った。エスカレーターの乗降もよどみなくこなす大日方さんを見ながら「さすがパラリンピアンだ。エレベーターがなくても問題ないのか」とのんきに思っていた矢先に、大日方さんの歩みが止まった。
通路の中間にあった、わずか2段ほどの階段が…
上りのエスカレーターを降りて、さらに少し先の上りのエスカレーターに接続する5メートルほどの通路の中間に、わずか2段ほどの階段があったのだ。
結局、私の少しのサポートでその段差もクリアし、無事に地下鉄を乗り換えたのだが、そこまでエレベーターが遠くにしかなくても困った様子を見せず、私の想像を大きく超えるスムーズさで移動してきた大日方さんが、私が気にも留めなかったわずかな段差で止まってしまったことは、大きな驚きだった。
大日方さんと一緒に歩いた30分ほどの時間、本当にいろいろなことに気付かされた。
エレベーターがあれば便利とは言えないこと。むしろ、エレベーターを1基設置しただけでは、バリアフリーとは言えないこと。ハード整備は、当事者の目線に立ったちょっとした配置の工夫が何よりも重要なこと。
そして、ハード面の整備だけで万全を期すことはできず、最後は「ソフト」=「人」の意識とサポートがやはり大切だということ――。まさに目から鱗(うろこ)、見える世界が変わったすばらしい体験だった。
その日から、私が街を見る目は確かに変わった。
障害のある方々だけではない。少し足を引きずって歩くお年寄り、足にギプスをして松葉づえで通勤するスーツ姿の会社員、抱っこひもで乳幼児をかかえて、スーパーの袋をいくつもぶら下げたベビーカーを押して必死に歩くお母さん。街の中には、程度の差こそあれ、移動に苦労している人は多い。
私自身、小さな子どもがいるので、週末はベビーカーを押しての移動が多い。そのことも手伝い、本当に便利で、皆が住みやすい街とはどんな街だろう、と、そんな視点で周りを眺めるようになった。そして、自分自身も住みやすい街を実現するための「ソフト」の一部なんだ、という自覚も芽生えた。
大日方さんと一緒に街を歩く機会を得た私は幸運だった。しかし、私に限らず、多くの人がこのような体験をすれば、きっと街は変わっていく。
2020年東京パラリンピックは、誰もがそれを体験できるチャンスに違いない。パラリンピックやパラリンピアンを身近に感じることで見える世界を広げて、住みやすい街とはどんな街なのか、考えるきっかけを多くの人が得てほしい。そう強く願っている。そして、それこそが2020年東京パラリンピックの大きな「レガシー」になるはずなのだ。
(文中一部敬称略)
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