「東京パラリンピック」が真にスゴいその理由 五輪を超える「レガシー」生む巨大な可能性

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意外に思うかもしれないが、日本のパラリンピックでの成績は、このところ低迷している。メダル獲得数の順位は、2004年アテネ大会の10位(総メダル数52個)から2012年ロンドン大会では24位(総メダル数16個)へと低下、そして直近のリオ大会では総メダル数は24個と回復したものの、金メダルはゼロにとどまっている。

いったい、何が原因でこうなったのか。日本パラリンピック委員会は、その背景を次のように捉えている。選手がベストコンディションで大会に臨むためのサポートやライバル選手に関する情報分析不足に加えて、そもそものところで選手層の薄さも原因ではないかと。メダル獲得の上位国と比べると、競技力を高めるための取り組み全般が遅れている、という分析をしているのだ。

イギリスやオーストラリアなどでは、すでにオリンピック競技とパラリンピック競技を同一の物さしで評価。成果が出ている競技には手厚い強化費を配分し、選手への手厚いサポートを実現している。日本はというと、選手は成績を急速に伸ばしているのに対して、サポート体制が追いついていないのだ。

日本のパラリンピックは、何が最大の課題なのか

不足しているのは競技に関する専門的なサポートや予算だけではない。より本質的な課題は、パラリンピックの各競技を統括する「競技団体」の組織基盤の脆弱さだろう。

競技団体の役割は、中長期的な競技の発展を考えて事業を実施することにある。しかし、限られた人員で日々、目の前の強化活動をどうしても優先せざるを得ない状況だ。

選手強化や当該競技の振興について具体的な目標を設定し、実現のための戦略も立てて、予算や人材などの資源を活用して成果を最大化するという本来のミッションにはなかなか手が回らない。限られた人員では、毎日を「回す」のが精一杯で、その場をしのぐような活動に陥りがちなのだ。

一つの例を紹介したい。当然のことだが、競技に専念するために必要なのは、コーチ、監督といった競技に直接かかわるスタッフだけでない。事務局として国内での大会を企画・運営したり、海外とのやり取り、経理処理や広報を担うスタッフも不可欠な存在だ。しかし、東京パラリンピックの開催決定から約2年後の2015年8月時点でも、競技団体の約7割で専従スタッフが在籍していなかったのだ。

健常者スポーツはというと、競技団体の職員数の平均は2016年の調査で14.0人(うち正規雇用者数8.7人、正規雇用者0人の団体は18%) であり、2010年の9.3人(同6.1人、27.8%) から着実に職員が増えている。こうして比較してみると、競技団体の組織基盤の差は非常に大きいことがわかる。

日本のパラリンピック競技団体で、マネジメントを担う人材も実働を担う人材も不足している背景には、ほかに「本業」の仕事を持つスタッフがボランティアとして選手を支えてきたという歴史がある。これはこれで、誇るべきことだと思う。

しかし、パラリンピックを目指す「プロのアスリート」として、競技が「本業」となり、専念する選手が増えていく中で、関係者の熱意や善意だけでは十分でなくなってしまったのだ。選手たちが強化活動に求めるスピードと内容についていくのは、ボランティア体制をベースにしては困難になっている。こうした状況を踏まえて、東京大会に向けた競技団体の組織体制整備は重要な課題として、関係者の間で強く意識されるようになっていた。

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