プロ野球選手を陰で支えるバット職人の真実 12球団130人の製作を手がけた男が語る
ほとんどの工程が手作業で、日本にも数名しかいない熟練の工員が会社の命運を握っている……。当時の工場長から「会社の宝」だと伺って、自分もそんな宝として生きてみたいと思うようになったんです。22歳のときでした。
バット職人の終わりなき道の始まり
熊谷氏:憧れの仕事を見出し、すぐにバット製造の部門で働きたいと会社に異動願いを出したのですが、会社からはそう簡単に、「よし」とは言ってもらえませんでした。何度か掛け合った結果、出された条件は、福井にずっと住み続けられるかを問うものでした。それだけ、バット一本に向き合えるかという覚悟を問われたのだと思います。
また、この仕事は高速回転する木材に向かって刃を当てるので、常に危険が伴うことも、覚悟を問われる理由でもありました。また、長野にいる親への説得もありますし、さんざん悩みましたが、「これを逃せばチャンスはない」と腹を決め、あらためて“志願”しました。
――新たな“バット職人”、誕生の瞬間ですね。
熊谷氏:バットには小さい頃から慣れ親しんできたつもりでしたが、実際の現場は私の知らないことだらけでした。そもそも、バットの原材料となる「丸太」のことを何も知らなかったんです。
節の位置や入り方、色のつき方など、木材に対する「目利き」で、バットの善し悪しは左右されます。丸太は自然の産物ですから、工業製品のように一律に品質が保たれたものではありません。産地や種類によって違うのはもちろん、同じ場所の同じ丸太でも、一本一本違うわけです。一日中、工場内で積み込み作業を繰り返して、材料に触れながら、木材の性質を学ぶことから始めました。
ようやく材木のイロハが分かってきたところで、今度は師匠である夏目さんをはじめとする先輩について、実際に現場に入りました。
――少しずつ、ステップを踏まれています。
熊谷氏:木材の性質を学ぶところまで、頭で理解できるところまでは、なんとか進めたのですが、実際に身体を動かしてのバット製作となると、これがなかなかできない。先輩方と同じように道具を使って、同じ動作をしているはずなのに、どうしてもうまくできないんです。