サッカー界「暴言問題」の背景にある"病根" 人を敬える選手は育成できているか?
相手からファウルを受けて転倒した選手が、接触した相手に対し何事か叫んだ。すると、審判は迷わずレッドカードを与えたのだ。試合後、本部テントに戻ってきた審判は大会役員に、なぜカードを出したのかを説明していた。
「殺すぞ!」
中学生はそう言ってすごんだという。
「それだったらレッドカードは仕方ありません。カードを与えることが、その選手の戒めになります。まだ中学生ですから、自分の気持ちをコントロールできない部分もある。そこが改善され、成長できるよう見守るのが大人の役目。退場させた先生(審判)の行動は正しいと思いました」と池上さんは述懐する。
しばらくして始まった別の試合では、「殺すぞ」発言の試合で中学生を退場させた審判が、自チームのコーチとしてベンチに入った。毅然とした態度でジャッジし、選手にフェアプレーを訴えた教師が指導するチームはどんなサッカーをするのだろう――池上さんは期待を込めて見守った。
ところが、現実は……。
子どもより先にキレてしまう指導者
教師は、点を取られるたびに選手を怒鳴っていた。
「ナメたプレーをするからだ!」
技術的に見ても相手のほうが上で劣勢にあったからかもしれないが、終始感情的になっていた。
「そこでシュートだろう?」
「どうして右サイド使わないんだよ!」
ミスをけなすばかりで、そのほかは指示や命令ばかり。劣勢に動揺する選手を落ち着かせたり、励ますような声がけは残念ながら聞かれなかった。こういうときこそ、日頃の指導が垣間見えるものだ。
そのような指導者に教わる選手は、どうしてもプレーが荒くなりがちだ。アフターチャージや、故意と思われるような反則が目立った。
「あの先生のチームはよくレッドカードを食らってますよ」と、ほかの指導者がため息交じりで教えてくれたという。
これでは、審判としての立場とコーチとしての立場でやっていることがちぐはぐだ。つまり、行動に一貫性がない。
もちろん指導者全員がこの教師と同じとはまったく思わない。しかし、人権意識の希薄な大人の言動がそのまま子どもたちに伝わっていないだろうか。反対に、大人から尊重され、暴言や体罰を受けなかった子どもは、対戦相手をきちんと敬えるはずだ。
学業にしろ、スポーツにしろ、昔に比べれば結果を求められることが多いと筆者は感じる。実際、最近の子どもたちを見ていると、試合で相手にリードされるとすぐに下を向く傾向がある。
前出の池上さんは、最後まで1点を目指して戦うのがフェアプレーで、戦うことを放棄するのは相手に失礼なこと、相手をリスペクトしていないことだと教えてきたそうだ。それなのに、子どもより先にキレてしまう指導者は少なくない。
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