荒川:そうでしたね。
しかも、明らかに独身男性が多かった。幕末慶応年間(1865~68年)の史料では、町人16~60歳の男性の有配偶率は、麹町地区で47.3%、渋谷宮益町地区でも46.5%と半分にも達していない状況でした。
独身男が暮らした「長屋」の実態
堀口:独身男性が多い都市で、どうしたら便利に快適に暮らせるのかということで、インフラが整っていく流れが面白いんです。
庶民の独身男性は、独身のまま人生が終わることが多いので、男が1人でも生活していけるコミュニティに所属する必要がありました。それが、互いに持ちつ持たれつの関係でできている長屋です。
長屋は、お手洗いも炊事場も共同で、1人4畳半くらいのスペースで暮らしています。長屋の中で、家事や力仕事を分担し合っていました。そうやって、いろいろな世代やタイプの人が緩やかに生活しているのが長屋で、庶民の生活の最小単位でもあったんです。
荒川:今でいうシェアハウスの多世代型ですよね。若い男も夫婦もおじいちゃんおばあちゃんも、いろんな世代の人がいたわけじゃないですか、長屋って。それがすごくいいなと思うんですよね。
堀口:そうなんですよね。ただ、江戸の人はプライバシーという概念がなかったから大丈夫だったのだと思います。今のわれわれからすると、ふすまを開けたら隣の人が住んでいるという環境は、なかなか慣れないと思うんですけど。
荒川:でも、僕が小学生の頃ですら、家の鍵はいつも開いていましたし、学校から帰って家に家族が誰もいないのに、たまに隣のおじさんが僕の家の縁側でお茶飲んでいるんですよ。それで違和感がなかった。昭和のあるときまでは、そんな感じだったんじゃないでしょうか。
堀口:そうなのですね(笑)。
当時は年間を通じて何らかの全員参加行事があって、それがコミュニティ内の人を結び付けていたんです。
長屋だと、七夕は井戸を掃除する日って決まっているので、全員で掃除して、皆でそうめん食べて、お酒を飲む、なんてことをしていました。年間を通じて行事が決まっていたので、そのときには嫌でも顔を合わせて互いを知っていたんですが、今は会社でもイベントに強制参加させるのはなかなか難しいでしょうね。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら