「一汁一菜本」の礼賛に何となく感じる違和感 確かに時代にマッチした提案ではあるが
明治時代以降は西洋料理の影響が大きくなる。肉食が解禁になり、日本化した料理の代表がとんカツやカレーライスだ。とんカツは油脂で煮込むフランス料理のコートレットが元。それが、天ぷらのようにたっぷりの油でさっくりと揚げ、包丁で切って箸で食べられるとんカツになる。
カレーも、小麦粉のルウでとろみをつける料理として定着。ご飯にかけて食べると絶妙のコンビネーションを発揮する。外国の食文化は入り続けているが、それを日本人は、ご飯に合う料理にアレンジし定着させてきた。
「一汁三菜信仰」が広がったキッカケ
歴史的な側面から言うと、土井氏の本にもあるが、一汁三菜を基本形にするのは懐石料理だ。多種類の料理が載った膳を何度も出す宴会をシンプルに、という斬新な提案を行ったのは利休である。
もてなし料理の言葉だった一汁三菜が、家庭料理と混同されるようになったきっかけは、NHK「きょうの料理」の1978年10月2日放送回で、「家庭むきの懐石料理」を紹介する際、懐石料理の一汁三菜が提案されたことだと考えられる。その後、一汁三菜はくり返し料理研究家の口から語られ、理想的な食卓像として定着する。
この頃は、日本の食卓の栄養バランスが最も優れていた時期だ。洋食、中華が家庭に定着する一方、煮物などの和の総菜もよく食卓にのった。一長一短ある和と洋が揃ったからこそ、バランスが良かったと言える。ゆとりがある生活を送る専業主婦の中には、料理に手をかける人もいた。「きょうの料理」だけでなく、本格的なフランス料理や懐石料理、パーティ料理などのレシピ本がよく出て売れた時代である。
働く女性が増えていたこの時期、罪悪感から「働かせてもらうからには、家のことに手を抜かない」と夫に約束した女性も少なくなかった。だから、手の込んだものではなかったかもしれないが、なるべく豊かな食卓を整えようとした。
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