日本人が「黙って忖度」ばかりする根本原因 ハイコンテクスト文化には落とし穴がある

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つまり、言葉にしなくても通じてきたがために、言語化し、はっきりとしたメッセージで伝える力が弱く、上司が部下を「しかる力」もなく、両者に距離感があり、合意を重んじるがために迅速性に欠け、「見解の相違」が発生したときの正しい対処の仕方もわからない、といったようなことである。

コミュ力は「生きる力」そのもの

通算7年ほど海外で暮らした筆者だが、さまざまな先進国と比べても、日本は本当に「いい国」である。治安がよく、クリーンで、自然は豊か。食事はおいしく、教育は比較的安価でしっかりしている。医療は充実しており、アメリカなどと比べれば信じられないほどの低料金だ。人々は礼儀正しく、親切で正直。ドラッグや銃などといった問題も圧倒的に少ない。しかし、この国の人々の幸福度は極めて低く孤独で、多くの働き手は仕事に愛着もやりがいも覚えていない。そして、絶望的に未来を悲観している。労働環境や貧困、長引く経済停滞などさまざまな外因はあるが、大きな要因の1つとして見逃してはならないのが、「コミュニティ」と「コミュニケーション」の問題であると考えている。

過疎化などにより、地域社会が崩壊していく中、人々がよりどころにできるコミュニティを見つけにくくなっている。海外では宗教やNGO、NPO活動などに居場所を求める人も多いが、日本では、「家庭」や「職場」以外の「サードプレース」はあまり見当たらない。人は人とのかかわりの中で生きていく社会的動物、ソーシャルアニマルである。そのかかわり合いのゆりかごとなるコミュニティの欠落は孤独感、喪失感につながっている。

そして、長年の「非言語」文化により、使わない筋肉がこそげるように落ち、退化してしまった日本人の「コミュニケーション力」。コミュニケーションとは人と人とを結び付ける強力な糸であり、身体に命を巡らせる血液のようなもの、つまりコミュ力はまさに「生きる力」そのものである。「忖度」の名のもとに、血を通わせる努力を怠ってきたわけだが、伝家の宝刀のごとく、従来のやり方を堅守しなければならないものではないし、良い部分は残しながらも進化させていくべきものであろう。

岡本 純子 コミュニケーション戦略研究家・コミュ力伝道師

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おかもと じゅんこ / Junko Okamoto

「伝説の家庭教師」と呼ばれるエグゼクティブ・スピーチコーチ&コミュニケーション・ストラテジスト。株式会社グローコム代表取締役社長。早稲田大学政経学部卒業。英ケンブリッジ大学国際関係学修士。米MIT比較メディア学元客員研究員。日本を代表する大企業や外資系のリーダー、官僚・政治家など、「トップエリートを対象としたプレゼン・スピーチ等のプライベートコーチング」に携わる。その「劇的な話し方の改善ぶり」と実績から「伝説の家庭教師」と呼ばれる。2022年、次世代リーダーのコミュ力養成を目的とした「世界最高の話し方の学校」を開校。その飛躍的な効果が話題を呼び、早くも「行列のできる学校」となっている。

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