「連れ去られた子ども」を苦しめる制度の正体 なぜ子が「別居した親」の元に戻るのか
「必ず戻ってきてくれる」と父親は信じ、美優ちゃんを連れて行った。すると3日目の朝、冒頭に記したとおり、美優ちゃんは自分の意志で父親の家に帰ってきたのだ。
「なぜパパのところに戻ってきたの?」と私が尋ねた。すると、「その日、離任式があったんです。引っ越してきたときの担任の先生が次の学校へ移っちゃう。先生に会っておきたかった。でもいちばんはジョンを元気づけたかったこと。ジョン、なんであなたはそんなかわいいの?」
美優ちゃんは父親のことには触れず、再び茶化すようにそう言った。
貢さんに過去の写真や資料を見せてもらうため、2人で書斎へ移動した。貢さんは美優ちゃんの気持ちについて次のように代弁した。
「娘はママを裏切ってしまったことを、後悔してるんだと思います。だけど同時に、連れ戻されるんじゃないか、怒られるんじゃないかという気持ちもある。美優は私もママも両方好きなんです。それでもパパと暮らしたいと言って戻ってきてくれたのは、ママのところだと、ときどきパパに会えなくなる。だけど、パパのところだとママに自由に会える。子どもなりに考えて、どちらがいいか考えているんでしょうね。父母どちらかじゃないんですよ。娘は両方に会いたいんです」
離婚が成立し、親権は父親である貢さんへと変更された。貢さんは元妻に1カ月ぶりに娘を会わせたばかりだ。貢さんはこれからも積極的に面会を続けて行くつもりだという。
関東から長野まで電車で戻ってきた二男
十数年前のことです。長野県北部H村にあるこの家から南関東の実家へと、妻が2人の息子を“連れ去って”しまいました。当時、上の子は8歳、下の子は5歳。2人とも元いた家に戻ってきたがっていました。長男は今も妻と一緒に暮らしていますが、二男は小5のとき電車を乗り継いで、私のところへ独りで戻ってきました。運命に従ったのが長男で、刃向かったのが次男なんです」と話すのは岸良明さん(50歳、仮名)である。
二男はネットに発表した手記に次のように記している。以下は抜粋である。
「母親によって一方的に東京の母親の実家に連れ去られ、そのまま父との自由な交流ができなくなりました。その後父が尽力してくれた結果、少しずつ父親との交流ができるようになりました。しかし、継続される母親の、父との面会交流の妨害と父への悪口が嫌で、10歳のときに家出をして長野県H村の自分の家に帰宅しました」
二男同様、長男も父との自由な交流を望んでいた。しかし、彼はその気持ちを封印、母親側にとどまった。
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