幼少期において、母親の価値観は娘にとって絶対です。「○○ちゃんみたいな子と遊ぶのは反対」「あなたにそんな服は似合わない」といった否定、「△△ちゃんは、ピアノが上手ですごいわね!」という他人との比較、などを通じて、母親の価値観が植え付けられていきます。
もちろん、こういった発言それ自体が悪いわけではありません。母親の意見を述べることはあってしかるべきです。ただ、母親の意向に沿えなかったときに母親の機嫌が悪くなってしまうとしたら、そこに大きな問題があります。
なぜならば、素直な良い子ほど、「母親の機嫌が悪いのは自分のせいだ」と自責の念に駆られるからです。すると、母親を喜ばせたい、という健気な思いもあって、たとえ自分の本意と違っても母親に合わせようとします。
こうして、「ママの言うことを聞いていればいいのよ」「あなたのために言っているのよ」といったセリフに翻弄されながら、母親を喜ばせるための行動を繰り返していくうちに、娘は自分の意見を持たなくなります。自分の気持ちを見ないようにする術を身につけるといったほうが良いでしょうか。なぜそうなってしまうかというと、そのほうが楽だからです。「思春期になっても反抗期がない」というと、理想の娘のように思われるかもしれませんが、実はその背景にこうしたプロセスが隠れているかもしれません。
そして、進学、就活、結婚など、いざ本当に大切なことを選択しなければならなくなったときに、こうして自らの気持ちに蓋をしてきた娘は自己決定ができなくなっています。自分がどうしたいのかがわからず葛藤し続け、例えささやかな自立心が芽生えても、そこに母親の反対意見があれば、「振り出しに戻る」の繰り返しです。
実際に、苦労して内定をもらった会社に母親が難色を示し、内定を辞退してしまった、せっかくできた彼にダメ出しをされ続け、本人同士の関係性が悪くなってしまった、という例は本当によくあります。
ただ否定するだけでなく、矛盾した言動に身動きが取れなくなることもあります。「早く結婚してね。でもあの人はダメよ」「良い仕事に就いてね。でも、忙しすぎるのは反対だわ」といったダブルバインド(2重拘束)をうけ、一体どうしたらいいの? と路頭に迷ってしまうのです。
最悪の場合は、引きこもりになって社会生活さえ正常に営めなくなることもあります。ただ、引きこもりの状況は、ある意味母親にとっては、願ったりかなったりです。愛すべき娘が自分から離れずにそばにいて、いつでも世話を焼くことができるのですから。
「気づかないふり」でますます深みに
そうです。こうした母親にとっての娘とは、幼少期は、自己実現のための投影対象であり、大人になると、手離したくない依存対象へと変化しているのです。
娘がこのゆがんだ関係性にうすうす気づいていたとしても、気づかないふりを続けていたり、仕方ないと受け入れていくと、ますます深みにはまり込んでいきます。
自分のことを大切に育ててくれた母親に、恩や情があるのは当然のこと。しかし、だからといって自分の人生を生きるのに母親に遠慮する必要なんてありません。あなたの人生は、あなたのものであり、母親のものではありません。
自分がどうしたいのかを主軸に物事を考えることは、「自分勝手」や「わがまま」ではなくとても大切なことです。まずは、そのことに気づくこと、そしてそれに正対する勇気が必要です。「母の日」にモヤモヤしたすべての人に、この思いが届きますように。
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