父でもなく、城山三郎でもなく 井上紀子 著~誇らしげで、微笑ましく伝えられる父の実像

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父でもなく、城山三郎でもなく 井上紀子 著~誇らしげで、微笑ましく伝えられる父の実像

評者 仲倉重郎 映画監督

 昨年3月に亡くなった「城山三郎」への思いを、次女が綴った本である。

著者にとって父・城山三郎は「父であって父でない存在」であった。娘には、父とは本名の「杉浦英一」であるのだが、亡くなってみると、作家「城山三郎」の存在が考えていた以上に大きく立ち現われてくる。だから、父・杉浦英一として見続けてきた人を、否応なしに作家・城山三郎として見詰め直さなければならなかった。

本名ではなくペンネームや芸名で仕事をしている人は多いが、その家族は世間に通用しているのとは違う貌(かお)に日々接している。仕事をしている姿は父親とイコールではないのだ。そのギャップは仕方がないことだが、その業績を追うことで次第に違う貌になれてくる。どうやらそれが本当の貌ではないかと思えてくる。著者の場合はまさしくそうであった。一年経って、ようやく父と城山三郎がイコールで結ばれるようになった。

「城山三郎」は、ことのほか人が好きだったという。好きというより、人に対する好奇心が強かった。いつも持ち歩いていた手帳には、その日に目にしたり耳にした人々の様子が、細かく綴られていたという。時には絵入りで。そして、動物好き。

だが、なにより、妻を愛し頼りにしていた。それは遺稿『そうか、君はもういないのか』という題名によくあらわれている。

それを編んだのはほかならぬ著者なのだが、その過程で、またその後の取材で多くの人と接し、「父・城山三郎」は、より大きく、内なるもの、確固たるものへと変化したという。

本書は母にも多くの頁が割かれている。それは父の実像を伝えたいからである。そして、そういう二人の娘であることが誇らしげである。それは、どこか微笑ましくもある。

いのうえ・のりこ
1959年、作家・城山三郎(本名・杉浦英一)、杉浦容子の次女として神奈川県茅ヶ崎市に生まれる。学習院大学文学部国文学科卒業後、同大学院進学。同大学院人文科学研究科(国文学専攻)博士前期課程修了。著書に『城山三郎が娘に語った戦争』(朝日新聞社)。

毎日新聞社 1365円 152ページ

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