電通過労自殺からテレビ界は何を学ぶべきか テレビ局も迫られる「働き方改革」

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制度の問題だけでなく、使用者側の過労死ラインに対する姿勢も問題である。日本では、元来「よく働くこと」を美徳とする文化があった。これが明治の富国強兵・殖産興業につながり、戦時中の国家総動員体制、さらに戦後の復興など、とにかく「よく働く」ことは奨励されてきた。そして、この「よく働く」は「量的なもの」と捉えられていた。

結果として、長時間働くことを肯定的に捉える文化が根強く、今でも長時間働いた労働者が出世し、自己の成功体験を部下に押しつけるという悪循環が散見されたりする。

放送界も長時間労働が蔓延していると聞く。たしかに、私自身もテレビ業界の労働者の事件をいくつか受任したことがある。そのうちのある事案では、労働時間が凄まじく長時間であった。まず、深夜まで働くのは当然で、土日もほとんどない。たまの休みはただただ寝るだけという状況だったそうだ。ところが、残業代は出ない。そのような事案であった。

さすがに、こうした事件は裁判でしっかりとケリを付けることができる。しかし、この事件に限らないことだが、そうした職場においては、上司はもちろん、働いている労働者たちも、長時間労働について当然のことと受け入れてしまっている「空気」がある。実際に私の依頼者も、当初はこれが当然だと思い、何の疑問も抱かずに働いていたという。しかし、さすがに人員の数が少ないと考え、再三にわたって増員を頼んだが受け入れてもらえず、何かおかしいと気づいたというのである。そこで、上司に直言したが、逆に「甘い」などと責められることになり、怒りの残業代請求になったのであった。

いい作品を作りたいがゆえの長時間労働でよいのか

テレビやラジオなど放送の世界は、一見して華やかな世界である。また、番組を制作するという面においては、やりがいも非常に高い職種であると思われる。作った作品が多くの視聴者の目に触れ、それに対して反応がある。もしいい作品を作り、いい反応がもらえるならば、これほど「気持ちのいい」仕事はないのかもしれない。

そのため、放送界の多くの労働者は、長時間労働が健康によくないことを頭のどこかでわかっていても、いいものを作りたいために長時間労働をする。そして、それが当然のように後輩に受け継がれていく。その間に身体を壊して退職する者もぼちぼちといるかもしれないが、いいものを作るという強い意志で、そのような現実を端に追いやりながら、駆け続けるのである。

だが、立ち止まって考えてみてほしい。本当にそれでいいのだろうか。

こうしたやり方は、今後放送界が健全に発展することを阻害する要因にならないだろうか。結局は体力のある人たちの長時間労働に支えられているに過ぎないこととなれば、その裏で「犠牲者」が存在することになる。そして最悪なのは、「生き残った」体力のある元気な人たちが、働くことができず病気になったりする「犠牲者」たちを責める構図である。

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