電通過労自殺からテレビ界は何を学ぶべきか テレビ局も迫られる「働き方改革」
実はこうした構図は、長時間労働が常態化した業界にありがちである。長時間労働によって維持されている業界において、「生き残る」のは長時間労働に耐えられた者ということになる。彼らは出世し、指導する側に回る。指導の際、自分が耐えられた長時間労働を耐えられない者に辛く当たる。非常に単純であるが、このスパイラルから脱するのは容易ではない。
放送界はこのスパイラルから脱しなければならないはずだ。「そんなこと言われても……」と思うかもしれない。しかし、長時間労働に耐えられる体力のある労働者が生き残り、これが引き継がれていくという流れは、電通の事件と何が違うというのだろうか。電通を批判するのであれば、放送界も長時間労働をなくす努力をすべきではなかろうか。
長時間労働を生む3要素とどう向き合うか
放送界で労働時間を短くした場合の懸念としては、そんな時間数では番組の制作ができない、もしくは質が下がるというものであろうと推察される。
長時間労働を生む3要素は、①業務量、②人員数、③納期である。放送界はこの3つとも厳しい業界と言っていいだろう。1つの番組を作る作業量、それに携わる人数、そして避けられない厳格な納期。いずれも厳しいがために、放送界には長時間労働が蔓延しているのではないだろうか。この3要素のどれかにメスを入れない限り、長時間労働はなくならないと言ってよい。ただ、これは一朝一夕で変えられるような問題ではないので、地道な努力によって改善を図っていくしかないだろう。
放送界の長時間労働を減らしていく努力としてまず考えられるのは、1つは「休息」を確保することである。
納期がはっきりしている業界であるため、瞬間最大風速的な長時間労働はある程度回避不能なところはあるだろう。ただ、こうした場合に働く者の健康状態を著しく悪化させないためには、激務のあとに休息をしっかり取るという点にある。したがって、休息を取る制度の構築や、これを前提とした人員配置を使用者に求めること、使用者もそれに応ずることが必要である。
次に、長時間労働の弊害について、労働者自身が知る・学ぶ機会を設けることである。長時間労働の弊害を労働者(上司などの管理職層も含む)が学び、合わせて経営陣も学べば、変わるきっかけになるだろう。「長時間労働自慢」「睡眠不足自慢」のような倒錯した状況にならないために、こうしたことは必要だと思われる。
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