歴史を知識自慢で終わらせないための心得 「歴史が得意」には3つのパターンがある
以来、社長は「ワンマン」の重荷を肩から下ろすことができて、随分と楽になり、物事がうまく進むようになったらしい。彼にとっては『貞観政要』に記されている世界が自分の身の回りに起こっていることと同じだったのだろう。「古い中国の王朝(1400年前)の人間模様と今日の会社の人間模様は何ひとつ変わらない」と述べていたのが印象的だった。
この若い社長が歴史を「分析型」で生かすことができた理由は、悩み苦しんでいた自分の立場と太宗の立場が重なり、『貞観政要』の教訓が骨身にしみたからだろう。苦悩が彼を「分析型」に導いたといえる。
歴史で、判断力を磨く努力はムダではない
「歴史と現実とは違う」とか「歴史は使いモノにならない」といった反論をされることは多い。先述したように、歴史の知識を得ることは簡単なことだが、それを現在の実生活や未来の予想に実際に応用するということは、歴史研究とは次元の違う高度な能力を要求される。
たとえば、戦争史に詳しい人がすべて、有能な将軍になれるわけではない。過去の戦争のパターンを熟知しているからといって、戦場で正しい判断をいつも下せるとは限らない。同様に、政治史研究家が有能な政治家になれるわけでもない。
しかし、歴史はわれわれに判断をするための材料を与えてくれる。歴史を知り、現状を分析しようとする努力が無駄ではないということは、多くの方に納得していただけるのではないか。
「少しずつ」ということを強調しておきたい。われわれのような凡人は歴史上の偉人たちが下した天才的な判断を、一足飛びにできるようにはならない。地道な繰り返しの中から、自分で思考・判断する習慣は身に付いていくはずだ。
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