暴走北朝鮮を封じるには経済分析が不可欠だ 為替も物価も「二重構造」の歪んだ経済実態
ところが、北朝鮮住民が市場で購入するコメの価格は、地域ごとでバラツキはあるものの、1キログラム5000ウォン程度もする。これでは、ひと月の生活費でコメ1キログラムさえ買えないことになる。それだけインフレがひどいということなのか、あるいは公式的な月給と市場価格の間で見えない価格構造があるということなのか。
この現象に潜むのは、為替レートにおける公式レートと市場レート、価格における国定価格と市場価格のそれぞれの間にある大きな差である。
2つの貨幣――内貨と外貨兌換券
2002年までは、北朝鮮には二つの貨幣が存在していた。内貨と外貨兌換券(兌換券、朝鮮語でパックントン)だ。内貨は北朝鮮住民が使用する北朝鮮の通貨であり、兌換券は北朝鮮を訪問する外国人が両替すると受け取る通貨だった。1980年代、北朝鮮を訪問する外国人(主に中国人と旧共産圏の国民)との交流が増えるにつれ、彼らからもたらされる外貨の流入が国内経済に与える影響を防ぐために作られたのが兌換券だった。
中国も改革・開放以降、相当期間にわたって兌換券を使用していたことがある。外国人は兌換券で外貨専用ショップで買い物をし、ホテルの宿泊料を支払っていた。基本的に外国人と内国人が行く商店やホテルなどが一緒になることはなかったが、仮に北朝鮮住民と外国人が同じ場所で同じモノを買っても、双方がそれぞれ支払う価格には差があった。それは、二重レートが存在しているためだった。
北朝鮮では、外貨取引には二つのレートが適用される。外国人に適用される公式レートと、内国人に適用される市場レートだ。公式レートは北朝鮮が厳格に統制し、1990年代でも今でも、1ドルは北朝鮮ウォンで100ウォン水準だ。だが、現在の市場レートは1ドル8000ウォン水準だ。公式レートと市場レートには約80倍の差が発生している。
とはいえ、1990年代までには市場レートは1ドル1000ウォンほどで、公式レートと市場レートの差が現在ほど開いてはいなかった。また、当時は北朝鮮住民が外貨や兌換券を使用することは珍しかったため、公式レートと市場レートの差が一般住民の生活に影響を与えることは小さかった。実際に、北朝鮮住民のほとんどが、公式レートがどの程度なのかも知らずに生活していたのだ。
ところが、1990年代半ばから経済状況が厳しくなり、モノ不足が広がり始めると、二重レートの構造が北朝鮮住民の家計に直接、影響を与えるようになった。国定価格で物資を供給する内国人向けの商店で物資が不足すると、住民らは外貨商店に押し寄せるようになった。外貨商店では兌換券だけを受け取るため、兌換券の需要が増え始め、その価値は10倍ほどに広がった。
当時は、北朝鮮ウォン1000ウォンで100ウォンの兌換券を入手でき、それから徐々に市場レートが市場を掌握するようになった。2002年に発表された「7.1経済管理改善措置」(公定価格と賃金の大幅引き上げや労働者の賃金への成果主義の導入、配給制度の見直し、ウォンの切り下げ、企業の経営における自主権拡大などを中心とする経済改革)を契機に兌換券は消えたが、レートの二重構造は北朝鮮住民の生活にそのまま残された。
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