20年を超す断続的な交渉にもかかわらず、北朝鮮の核開発によって世界は安全保障上、重大な転換点に追いやられつつある。米ソが欧州を挟んでにらみ合っていた60年前を思い起こさせる状況だ。
欧米はかつて欧州危機を戦争なしに乗り切った。だが今日の東アジアで同様の成果を上げるには、中国が北朝鮮政策を転換する必要がある。
旧ソ連との攻防
第2次世界大戦後は、米ソの抑止力が均衡していた。旧ソ連は核兵器に頼らずとも西欧を制圧できると信じられていたし、米国は当時唯一の核保有国で、欧州から直接、ソ連に核を撃ち込む力があった。
その後、1957年のスプートニクショックでソ連が米国本土を核攻撃する力を備えつつあることが明らかになると、米国の抑止力に疑問符がついた。本国を危険にさらしてまで、同盟国に対する攻撃への報復としてソ連に戦争を仕掛けることなどありうるのか、という疑問だ。
ソ連への先制攻撃は第3次世界大戦につながるため、はばかられた。ソ連の保有する核兵器が増えるにつれ、米国はミサイル迎撃システムも選択肢から外した。すべての核攻撃に対応できない以上、互いに迎撃システムを作らないほうが安全だったからだ。米ソは1972年、弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約を締結、この種のシステムを事実上禁じた。
同盟国への核武装拡大は、フランスが自国の核開発を正当化する理屈として持ち出したが、過去の戦争の歴史から旧西ドイツが核保有国となることは誰も望まなかった。
そこで西側陣営が取った選択が、欧州における米国の抑止力の信憑性を上げることだった。その裏付けとして米国は、欧州に核を配備し軍隊を駐留させた。この戦略は機能した。理由はどうあれ、ソ連が西側諸国を攻撃することはなかったからだ。
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