古代ローマの栄枯盛衰から学ぶべき「教訓」 中間層が没落する国は衰退の道をたどる

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都市国家ローマがイタリア半島の外に勢力図を広げることができたのは、裕福な中小農民が国の経済力と軍事力の中核を担うようになったのに加えて、ギリシャ全土より中小農民の数が非常に多かったからです。当然のことながら、裕福な中小農民はモノの買い手としてローマ経済を活性化させていましたし、税金の担い手としてローマ財政を潤沢にしていました。現代でいうところの「中間層」と呼ばれる人々が、軍事・経済・財政を下支えすることによって、ローマが大帝国に発展する礎が築かれていったのです。

イタリア半島を統一したローマは、地中海西方を支配していた大国カルタゴと地中海の交易権をめぐって戦争を開始します。ポエニ戦争といわれるこの戦争は、紀元前264~紀元前146年まで3次にわたって100年以上も続くことになります。最終的にはローマがカルタゴを滅亡させ、地中海全域を制覇することになるのですが、ポエニ戦争でローマがカルタゴに勝利した主な要因としては、両軍の兵士の士気や志の違いが挙げられます。ローマ軍は自国の中小農民から徴用した部隊であったのに対して、カルタゴ軍は忠誠心の低い異民族による傭兵(ようへい)部隊が主力であったのです。

ローマの中小農民による重装歩兵部隊は、かつて大国ペルシャに勝利したギリシャの重装歩兵部隊と同じように、個々の利益よりも都市国家ローマに奉仕するという献身性を発揮し、ローマの拡大・発展の原動力となっていました。しかし、歴史は繰り返すというように、ポエニ戦争の後半(とりわけ第2次ポエニ戦争の勝利後)には、ローマ本国の軍事や経済、社会を揺るがしかねない深刻な問題が起こってしまいます。

長年にわたる戦争で中小農民が疲弊

それは、中小農民の没落です。ポエニ戦争ではイタリア半島は戦場にこそならなかったものの、何代にもわたる長年の従軍によって中小農民は畑を耕すことができなかったため、半島全体で農地がひどく荒廃してしまったのです。多くの中小農民が蓄えの底をつき、生活のために借金を重ねた揚げ句に、貴族や騎士に安い金額で先祖代々の土地を売らざるをえませんでした。皮肉なことに、ギリシャを強国にした中小農民の没落と同じ運命をたどってしまったというわけです。

そのような社会情勢のなかで、ローマが第2次ポエニ戦争で領土を急拡大することによって、中小農民はいっそうの苦境に直面するようになっていきます。新しい領土はローマの属州(植民地)とされ、属州の多くの農地がローマの国有地となり、戦争で捕虜となった敵兵は奴隷とされました。新たな国有地はどうなったかというと、貴族や騎士といった富裕な市民が法外な安値で借り受けて、買った奴隷に耕させるようになったのです。これを「ラティフンディウム(大土地所有制)」と呼びます。

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