会社を大きくさせた最大のターニングポイントは、40年前に自身がエンジニアとして開発した、車のワイパーなど、ゴムと鉄を接着する独自技術。大手自動車メーカーや通信機器メーカーも古くからの取引先で、「ウチの技術はそうそうまねできないよ」と自信をのぞかせる。
社長を継いだとき、清宮さんは50歳を超えていたが、「当時はそれぐらいのほうが、取引銀行も納得してくれた」という。今は事業承継に多くの中堅・中小企業が頭を悩ませており、時代の変遷を感じずにはいられない。目立たないが需要がなくならないところにフォーカスした、まさに日本の典型的な優良中小企業といってよいだろう。本人は謙遜して「いやいや、ウチはただの町工場だよ」と言うが、清宮さんの会社の技術なしに車は存在しえないし、通信機器も存在しえないことは周囲の誰もがわかっている。
現場の第一線からは退いている。5代目の現社長は外部から登用したプロに任せ、本人は主に海外で次なるビジネスの種を見つける情報収集役として腕を振るっている。3年前からバンコクと東京を行き来する生活を送っており、「東南アジアはビジネスの宝庫だね。一昨日ジャカルタから戻ってきたけど、明日からホーチミンだ」と話すなど、アジアをまたにかけて精力的に動き回っている。いつかは娘婿に6代目社長をバトンタッチさせるべく、かなり出張に同行させて勉強させているようだ。
将来に対しては多少悲観的な一面も
清宮さんは典型的な代々続く富裕層の1人といえるが、ビジネスの将来に対しては多少悲観的な一面も時折のぞかせる。
「私は始めたときからすでに出来上がった事業があったんだよね。事業を時代に合わせた形にして、必要ならM&Aもやってということでここまできた。なにせ今まで必要であったモノやヒトが、必要でなくなる可能性が強い時代に突入するわけだから私の後はかなり大変なはずだ。オーナー経営者である必要はないとも思っているよ。会社としてのレゾンデートルが問われることもあるだろう。だから、海外にチャンスを見つけに来たんだよ」
筆者は清宮さんと出会って3年経つが、地銀、都銀をはじめとする銀行取引歴も長く、資金調達力もお世辞抜きで抜群。こんな会社を率いている人ですらビジネスの激変期を肌で感じているというのだ。
そんな清宮さんがとても熱心にビジネスの研究をしている分野が3つあるのだそうだ。1つ目が太陽光発電。それがプロフィットに結び付く、となった数年前に多額の銀行借り入れをして大企業が驚くくらいの用地買収、太陽光発電設置に動いた。「もちろん、もうほぼ回収済み」で、400億円の設備投資は5年で650億円になったというから「大成功のビジネス」と本人が胸を張るのもうなずける。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら