伝説の時計デザイナーが遺した最高の作品 拝啓、ジェラルド・ジェンタ様

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時計のデザイナーを長く続けていれば、創作の熟度は年を追うごとに高まっていくであろう、と思う。ジェンタの後継としてロイヤル オーク オフショアを手がけたエマニュエル・ギュエの例をとっても、1993年のオフショアよりも、2014年に発表されたロレックス「チェリーニ」のほうが完成度は高い。商業デザイナーとして、ギュエは正しい成熟を示した、と言うことができる。しかし、創作者として考えると、どうなのだろうか、という思いも同時にするのは、最晩年で“暴走”したジェンタのことを思うからだ。

ジェラルド・ジェンタは、筆者がインタビューをした時点で、ニースだかに別荘を持ち、時計業界からも申し分のない敬意をもって遇されていた。つまり、傍目には、完璧な老後を過ごしていた。しかし彼はそれに我慢がならなかったのではないか。ハーレーにまたがり、真っ黒なトゥルボを誇示した晩年の“露悪趣味”的行動は、事なかれ主義者よろしい予定調和をよしとしない彼の、創作者としての心ゆえだったのではなかったか。

多くの人はジェンタのそうした変貌を嫌ったし、筆者も同じだった。ジェンタは変わった、筆者は関係者に会うたびにそう言ってきた。しかし、ジェンタは変わったのではない。意図して自分を変えたのだ、きっと、と筆者は思うようになった。

輝かしいキャリアを顧みることなく果敢に挑む

私事になるが、小さな組織でも長とやらに祭り上げられると、各種の政治的配慮などが必要になって、人生をだんだん予定調和的にしていこうという推力がはたらく。人はそれを“成熟”と言うのだろうか。そして、そうした“成熟”の果てに「ニースの別荘」があるのだろうか。小さな雑誌の編集長に就任してからの筆者には、そんな思いが交錯したのである。

ジェンタの偉大さは、ロイヤル オークを手がけたことにあるのではなく、じつは晩年にジェラルド・チャールズ銘でトゥルボを作ったことにあったのではなかったか。と、そんな説を、筆者は先日、時計関係者のだれかれにとなく開陳した。理解を得ることはできなかったけれど、でも、ジェンタは理解してくれるに違いないというのが筆者の勝手な思い込みだ。

年を取ってなお変わり続けるのはむずかしい。ジェンタは輝かしいキャリアを顧みることなく果敢に挑み、果たせるかな“失敗”した。「汝の終わり得ぬことが、汝自身を偉大にする」とゲーテは言っている。ジェンタ最高の作品とは、ロイヤル オークでもノーチラスでもなく、彼自身の人生ではなかったか。

広田雅将
1974年、大阪府生まれ。時計ジャーナリスト。『クロノス日本版』主筆。大学卒業後、サラリーマンなどを経て2005年から現職に。国内外の時計専門誌・一般誌などに執筆多数。時計メーカーや販売店向けなどにも講演を数多く行う。ドイツの時計賞『ウォッチスターズ』審査員でもある。

(Text: Masayuki Hirota、Illustration: Naoki Shoji(portraits))

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