もともと知恵のある人でも、その人の知恵がそのまま世の中に通用出来るかと言えば、それは難しい。たとえ最初から知恵のある人でも、その知恵を社会の波で揉(も)んだほうがいい。だから、まず汗を流し努力することを勧めんといかんのに、最初に知恵を出せという。そうすれば、若い人たちは机の前に座って、とにかく知恵を出そうとする。参考書を読んだりする。当然のことやね。けど、いくら知恵を出そうとしても、いくら参考書を読んでも、そんなことで、生きた知恵は出てこん。知恵は社会の波に揉まれんと、ほんまもんではない。
そんなことを責任者が言っておってはあかんがな。努力というのは古臭いという人がおったら、それはそれでいい。しかし、実際、仕事には努力するということが大事だということは、人生がわからんものには、わからんやろう。
これからの時代は、複雑な、わかりにくい時代やろうな。それに時代の移り変わりも速いしな。もうどのように考えたらいいのか、わしにもようわからんね。そういう時代の流れのなかで、経営者にはどのような条件が求められるか。まず、時代の先を読む力が、そのひとつやろうな。
経営者はつねに明日を考えておるわけや。いままではいいと。しかし、これからどうなるか、どうすればいいのか。つねに明日が不安なわけやな。
これからの経営者に求められるのは
いまは決して社会の外に企業が存在することは出来ん。時代の外で生きていくこともできん。であるからして、昔のように、会社の中だけ、しっかりみておるだけで、経営の出来た時代と違う。いまは会社の内も外もしっかりと目を凝らし、出来るだけ先を読んで、出来るだけ早目に態勢を整えるということが大事になってきたわね。将来の読み方でガラリと会社を取り巻く環境が変わってしまって、経営が行き詰まるということにもなる。
そうなると、これからの経営者に求められるのは、時代の流れ、そしてその先を読めるかどうかということやな。
どうして読むか。それはな、学者になったらあかんね。その時代の流れのなかに入ってしまったら、見誤ることになる。まあ、宮本武蔵が、「構えて構えず」「観て観ない」というようなことを言っていると聞いたけど、ひとつのことだけを見つめておると、全体も将来も見通すことが出来ん。
だから、一つひとつのことを、あたかも学者のように精緻に知らなくてもいいんや。出来るだけ目を上のほうに持って行って、そこから時代の流れを見つめるというふうにすればいい。うん? そうやね。虫の眼ではなく、鳥の眼か。そういう見方や。学者先生の言うことは参考にする。しかし、とらわれず、素直な心で上から眺める気分でおると、ようわかるもんや。
あまり細かくなるとそれにとらわれて、全体の流れが読めなくなるね。上から、そう、目を細めるような、むしろ、あまり細かい物は見んほうがええんや。そうして、ひとつの流れを読み取っていく。
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