ジャパネット髙田明「私が引退を決めたワケ」 若手の「熱意と粘り」が本当に嬉しかった
このチャレンジデーは、2013年の過去最高益更新にも大きく貢献してくれました。そのおかげで、背水の陣を敷いていた私も、このときは「社長退任」することはありませんでした。
「確信」が揺らぎ、社長退任を決断
少し尊大に聞こえるかもしれませんが、それまでの私は、自分の決断は100%正しいと確信してやってきました。トップに迷いがあると経営はうまくいきません。しかし、チャレンジデーは私の確信を揺るがすことになりました。100%だった確信が、20~30%は減って70~80%になってしまいました。若い人の違った意見のほうが、結果を生み出す原動力になることもあると思ったのです。
この揺らぎが、その後の社長退任の決断に影響したのは間違いありません。
でも、うれしかったんです。本当にうれしく思いました。社員のその姿勢、攻めの気持ち、私に反対されてもあきらめない熱意と粘り、それがジャパネットの新しい時代を作っていくと確信しました。これは100%ですよ。
こうして、私は2012年末に「社長退任」宣言をしてから3年目の2015年1月に社長を退任しました。後継社長には長男の旭人を指名し、ジャパネットたかたを委ねることにしました。
企業は創業期、成長期、安定期それぞれで、組織のあり方もリーダーシップも変わっていかなければ、100年続く企業にはなれないと思ったことも、若手にバトンを渡した理由でした。
私は、経営者としては何でも感性で突き進んできたタイプです。私自身は、私が感性でやってきた経営や課題の解決方法を「仕組み化」することがなかなかできていませんでした。会社の仕組みを作ったり、人を採用して教育制度や評価制度を作ったりすることは、新社長のほうが長けていると思います。
退任を公言したとき、会長職として残るという選択肢もあったかもしれませんが、私はその道は選びませんでした。指揮命令系統が二重構造になっては社員が困る、経営者としての権限を譲るなら、全部譲るほうがいいと思いました。
そうして社長退任後の1年間だけはテレビショッピング番組の制作指導とテレビ出演を続け、私なりに考え続けてきた「伝えること」をスタッフに受け継がせ、共有する期間としました。
そうして2016年1月にはテレビショッピングからも「引退」し、今は自由の身を謳歌しています。
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