(第10回)阿久悠の履歴書1--「昭和」の子の「戦後」のはじまり

(第10回)阿久悠の履歴書1--「昭和」の子の「戦後」のはじまり

高澤秀次

●阿久悠の曲には「望郷概念」がない

 ここからしばらく、阿久悠に関する自伝的な側面に目を向けてみよう。

 阿久悠・本名深田公之、生まれは兵庫県淡路島。
 昭和12年(1937)、地元の巡査の次男(19歳で戦死した長兄のほかに、姉、妹がいる)として生まれた彼は、親の職業柄、幼少年期に西海岸を中心に、島内を転々とする生活を経験した。
 明治34年(1901)生まれの父・深田友義は、九州・高鍋市に程近い宮崎県児湯(こゆ)郡川南町を本籍地とする。

 ただ、どういう経緯で兵庫県警の巡査になり、はるばる淡路島に来ることになったのかを、阿久悠は具体的に語ろうとしなかった。

 これは、戦後を代表する作詞家の誕生をめぐる謎の部分である。
 作家でもあった彼が、父の生涯に関わるこの重大な謎に無関心でいられたはずはないのだが、なぜか執拗に詮索した形跡がない。そのルーツへの探索意欲は、いたって乏しいのである。

 「ぼくの詞には、歌謡曲の定番であるところの望郷意識がまるでない」(『生きっぱなしの記』)

 そう御本人は語るが、この故郷意識の希薄さから、従来の歌謡曲の常識ではあり得ない数々のヒット曲が生まれる。『五番街のマリー』や『ジョニイへの伝言』のような、日本人の故郷意識とは一線を画した"他郷の歌"である。

 演歌の詞にしても、彼がストレートに、定番の「故郷」を歌にすることはまずなかった。
 『京都から博多まで』、『北の宿から』、『津軽海峡・冬景色』といったヒット曲を眺めれば一目瞭然であろう。

 それらに共通するのは、何らかの理由で旅をする女、故郷にしがみつくのではなく、そこを離れて北なり西を目指す、幾分か前のめりの女たちである。

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