(第10回)阿久悠の履歴書1--「昭和」の子の「戦後」のはじまり
●長兄の戦死
水たまりが残った
水たまりのぼうふらは
泥水の息苦しさよりも
見上げる彼方の
青い青い空を思った
戦争という夜のあと
こどもの朝が訪れた
この詩は、出生地の兵庫県津名郡五色町の町制施行35周年を記念した、映画『瀬戸内少年野球団』のモニュメントに刻まれた阿久悠の詩(「あのとき空は青かった」)である。
野球と映画と流行歌という、「民主主義の三色旗」を仲立ちに、「再生」へと向かおうとする小国民の第一歩を標す渾身(こんしん)のマニフェストである。
敗戦で投げ出された、ぼうふらのような小国民の目に映った、その「青い青い空」は、「八歳児の再生の瞬間」(『生きっぱなしの記』)を象徴していた。
そしてその次の記憶--昭和22年の年明け、この一家にとって忘れがたい家族旅行が阿久悠の記憶に焼き付いている。
戦死した長兄の遺骨を抱いての郷里宮崎への一家5人の納骨の旅である。
小説『飢餓旅行』で詳しく語られるこの旅の過程で、深田少年は、自分の胸に抱えたその骨壺の中身が、「チビた歯刷子(はぶらし)」でしかなかったことを知るのだ。
阿久悠の歌の原点は、この死んだ兄(深田隆)が遺したレコード『湖畔の宿』(歌・高峰三枝子)にあった。
1952年生まれ。早稲田大学第一文学部卒。文芸評論家
著書に『吉本隆明1945-2007』(インスクリプト)、『評伝中上健次』 (集英社)、『江藤淳-神話からの覚醒』(筑摩書房)、『戦後日本の 論点-山本七平の見た日本』(ちくま新書)など。『現代小説の方法』 (作品社)ほか中上健次に関する編著多数。 幻の処女作は『ビートたけしの過激発想の構造』(絶版)。
門弟3人、カラオケ持ち歌300曲が自慢のアンチ・ヒップホップ派の歌謡曲ファン。
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