松本清張の「作品力」が今でも評価される理由 担当編集者が明かす「精緻すぎる手帳」の凄み

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自伝やノンフィクションで大事なのは、そのディテールと心の揺れ動きなのである。どんなに他者と比べて記憶力に自信がある人でも、自分の「忘却力」には勝つことができない。私が担当しているドナルド・キーン先生は、それこそ超人的な記憶力の持ち主で、半世紀以上前のことでもかなり詳細に覚えておられる。だが、若き日に、永井荷風や谷崎潤一郎や川端康成(何という顔ぶれ!)とじかに交わした会話を、細部まですべて思い出すことはできない。「私は記憶力に自信があったので、日記を書きませんでした。いま後悔することがあるとすれば、あの作家たちとの会話を、日記に残さなかったことです」とおっしゃった。たしかに、それが記録されていたら、キーン先生の著作に、さらに魅力と深みのある何冊かが加わっただろう。

そんな後悔と無縁だった作家を、ひとり知っている。駆け出しの編集者のころ取材のお供を10年ほど続けた松本清張先生だ。その日記は凄かった。

チューリッヒの取材にて

1982年、スイス取材に同行した。チューリッヒの個人銀行を訪ね、当時指弾されていた、富豪や独裁者の不正資金を預かる問題について、経営者に話を訊いた。清張先生はほとんどメモをとらない。鋭い質問を投げかけ、じっと相手の答えを聴いている。「不正な蓄財には手を貸さない」と言い張る経営者に、「しかし、おたくの秘密主義は」と、疑念を20回も呈し続ける先生に、相手は辟易していたが、2時間を超えた取材が終わるころにはむしろ尊敬の念を抱いたようにも見えた。

1日の取材を終え、ホテルに帰ってラウンジで反省会。取材の面白かったところや足りなかった部分を振り返る。日付が変わろうとするころ、「先生、そろそろお休みください」と部屋に送る。それから朝までこちらは睡眠をむさぼるのだが、清張先生は違う。夜中の3時か4時には起き出して、ルームサービスのコーヒーを飲みながら、ひたすら前日の取材日記を書くのである。

10日あまりの取材旅行を終え、日本に帰ってから日記を見せてもらい、驚いた。チューリッヒの個人銀行の場面。まず、入り口のドアに配達された新聞が逆さに挟まれていたことから書いてある。受付の女性たちの容貌や服装、つけていた香水の匂い。経営者の部屋に案内される廊下の窓から見えた中庭の樹木。まるでハンディなビデオカメラで舐めるように撮影したかのごとく(しかも文学的に)すべてが再現されている。もちろん、そんな器材はまだ影も形もなかった時代だ。

経営者とのやりとりが詳細に記録されていることは言うまでもない。言葉だけではなく、相手の表情や物腰の変化(そう、心の揺れ動き)から部屋の調度まで、描写は細密だ。カーテンの色や灰皿の形も見逃さない(そう、ディテール)。

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