ある猟師の人の話やったかな。その人の話によると、当時、数多くの鳥獣を捕って料理してみたが、いずれも栄養十分で、まるまる太っておったということや。
人間が飢えで困窮しておる、そのときに、鳥獣は喜々として戯れ楽しみ、栄養も十分にとっている。人間には鳥獣より、はるかに優れた知恵才覚がありながら、いったいどうしたことなのか。なぜなのか。それは、おそらく自然に従い、自然のことわりに則した営みを、人間は正しくしていないからではないだろうか。
ひるがえって、鳥獣はきわめて素直に自然の摂理に、自然の理法に従って生きておる。生きておるからこそ、豊かで楽しい生活をすることが出来る。
人間も自然の理法に従って生きるならば、きっと繁栄と平和と幸福を手に入れることが出来るんやないか、貧することも、殺し合うこともないのではあるまいか。そうだ、人間もみずからの小ざかしい知恵才覚に捉われず、素直な心で自然の中に繁栄の原理を求め、それに従って生きていく工夫努力をすべきだと、そんなことを考えたことがあったな。スズメに教えられたわけやな。
うん、今もそういうふうに、わしは思っておるけどな。われわれは自然の理法の研究と人間の本質の研究をもっとやらんといかんね。あそこで遊んでおる鳥たちも自然の理法のなかで悠々と生きておるんやろな。
自分で決めたものではない
ところで、フッと、いま思ったんやけどな、今日までの自分を考えてみると、やはり、90パーセントが運命やな。しみじみ運命やと思うな。
日本人として生まれたのも、この時代に生まれたのも、わしの意思ではない、たまたま偶然に、この国に、この時代に生まれてきた。生まれた家も、環境も、いわば運命や。わしが決めたものではない。
この仕事をやるにしても、わしがもし大阪でない別のところにいたらどうであったか。電車を見ることもなかったら、電気の仕事をやろうと、ひらめくこともなかったやろうな。たまたま大阪の街に出ておった。特にとりたてて力のない平凡なわしが、一応仕事だけでも成功したということを思えば、なおさらのことや。
そういうことを考えてみると、人間はほとんどが運命やとつくづく感じるな。そういう運命に、わしは心から感謝をしておるよ。ありがたいことだと。
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