ヨーロッパの道徳は「容赦ない社会」が生んだ

「平等」も「人権」も、次善の策にすぎない

カントこそ「人間の尊厳主義」の旗手ではないかと思われるかもしれないけれど、まったくそうではありません。彼が尊重するのは、人間における「理性的要素」のみ。カントの言葉を使うと「人格」のみです。ちょっとカントを知っている人は、「人格における人間性を尊重せよ」という定言命法の第2方式を持ち出して、以上の見解を否定するでしょうが、それはカントの文章の真意をよくつかんでいないからにすぎない。

カントによれば、残念ながら人間は理性的存在者の中で最下層に位置する「感性的な理性的存在者」すなわち、欲望の巣窟である身体を有する理性的存在者なのであって、これにより人間はたやすく悪に陥る。よって、人間には、「身体を含めて(理性にのみ根源をもつ)道徳的善」を実現しなければならない、という超難問がそびえ立っている。

社会的正義はときに「道徳的善さ」を妨げる

こうして、先の定言命法の第2方式も「残念ながら、きみたちは身体をもつ下級の理性的存在者としての自他を尊重しなければならない」という意味、すなわち生身の人間にあっては、理性的部分と感性的部分は分けられないから、その総体としての「人間性」を尊重せよということにすぎない。

カントにとっては、「理性」それ自体こそ尊重すべき唯一のものであり、人類の存続などどうでもいい。たとえ人類が全滅しても、理性は消滅せず、その限り道徳法則はまったく損傷なく存続する。このことは、カント倫理学を通じて確保されていて、社会的正義――カントのタームでは「適法性」とは完全に「道徳性」から排除されている。

つまり、社会的正義は「道徳的善(よ)さ」とは関係がない、いや往々にしてそれは道徳的善さの実現を妨げるものなのです。カント倫理学を通じて気がつくことは、いわゆる犯罪的行為をはじめとする社会的悪(不正義)の話がほとんど出てこないこと、出てくるのは、社会的正義(適法性)がそのまま道徳的善さではないという主張ばかりです。

この問題は、かつて『悪について』(岩波新書)で書きましたが、哲学界においても、ひょっとするとカント学者の間でもあまり知られていないようなので、口をすっぱくして繰り返しますが、カントは、道徳的善さは、いわゆる社会的悪からの解放によってではなく、いわゆる社会的善からの解放によって実現される、という(一見)とてもヘンな倫理学を提唱しているのです。

カントは外形的に法にかなっている行為を「義務にかなった行為」と呼び、それは、道徳的善さが内面的動機も含めて要求する「義務からの行為」ではない、という論証を繰り返す。たとえば、「約束を守る」という義務を果たす理由が、そうしないと評判が悪くなるから、今後の信用を失うから、等々である場合は、「義務にかなった行為」すなわち適法的行為であっても、「義務からの行為」すなわち道徳的行為ではない。これらの外的理由がまったくなく、「約束は守るべきだから守る」という動機に基づく行為のみが、「義務からの行為」すなわち道徳的行為なのです。

次ページ法的正義と道徳的善を混同してはいけない
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