ドイツには「まちづくり」という言葉などない 日本中でこの言葉が氾濫する理由とは?

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まず、「まちづくり」の「まち」の部分の意味は、「コミュニティ」ということになろう。商店街の通りも、町内会も、駅などのランドマーク周辺も「まち」に該当する。空間的にさほど広くはないが、伸縮可能。

次に「つくる」という部分。なんらかの活動や取り組みをさすが、その主体に「住民」が想定されていることが多い。つまり、草の根型デモクラシーだ。住民ではない組織が「まちづくり」という言葉を使う場合も、住民の自主的な活動を支援する、パートナーになるといった意味で使われるケースが多いと思う。

日本語の特性として、「街作り」「町造り」と漢字表記にすると、意味が限定されるような気がするが、ひらがなで書くと、ある「コミュニティ」における「草の根型デモクラシーによる活動」という本質的な意味を押さえつつも、汎用性の高い言葉になる。

明治以降の歴史から見る「まちづくり」の広がり

この「まちづくり」が、活動としてなぜ広がったかは、明治時代以降の日本の歴史を振り返ると、納得できる。日本は「富国強兵」をスローガンに急激に近代化した。第2次世界大戦後に「強兵」は取り下げたものの、「富国」を目指す開発型国家ではあり続けた。

国を開発するには、カネと権限を中央に集めるほうが効率がよい。中央の計画に基づく経済地理政策では、「かせぐ」エリアを都市部に集中させ、農村部からも労働力を集めた。

同時に職住が極端に分離した生活をする人も増え、各共同体にあった自治の力が衰えるのは必然だった。郊外に新しくできた居住エリア、ニュータウンなどで自治の力を醸成するのも難しく、都心で働く男性たちは、住民票に書いてある居住地では眠るだけだった。それでも、「富国」の方針は、バブル時代までなんとなくうまくいった。

こうした「上からの都市開発」の流れは、1995年の阪神淡路大震災が起こったあたりで転機を迎える。このあたりから、コミュニティについて考える人がぐっと増えた。NPO、NGOといった社会的組織も注目され、1998年には「特定非営利活動促進法」ができる。「公共」という言葉への関心も高まった。

「まちづくり」という言葉には、それ以前から「行政による都市計画への異議」や「住民自治推進」という文脈が付されていたが、1990年代以降に広がりを見せた背景には、開発型国家の限界が見え、それゆえにボトムアップ型の自治の力をもとに、コミュニティを作っていくべきだ――こうした意識が強まってきたからではないか。

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