「学習困難」な生徒が、あえて大学に行く理由 低偏差値高校の実績作りに利用されている?

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また、国公立大学の授業料が私立に比べて大幅に安価である時代はとうに過ぎている。「教育困難校」の保護者には大卒者はほとんどおらず、中卒者、高校中退者も少なくない。人生の中で何かがうまくいかないとき、「自分は大学を出ていないから」と学歴をその原因と考えてきた彼らは、子どもに大学に行かせたいという願望は強い。しかし、その大学観は、間接的に得た情報で作られた夢想の世界のようだ。

そして、生徒たちはどうか。義務教育段階で学力が低く、成績も悪かった彼らは、「教育困難校」で学力的には同質の集団で再スタートを切ることになる。騒がしい授業でも休まず出席し、課題や試験をこなすと成績優良者になれる。すると、彼らは一気に自信をつけ大学進学を目指すようになる。しかし、進学校の生徒との交流もないので、授業難易度の違いには気づかない。また、全国模試も受けず、予備校にも行かないので、自分の学力を相対化することができない。そこで、自身の学力を根拠なく過大評価し、到底手の届かない大学を志望するようになる。そこを諄々(じゅんじゅん)と説得して、学力レベルに合った大学を志望するように持って行くのが、高校教員の役割でもある。

「大学は自由で楽しいところ」という甘言

一方で、本来持っている能力が高く、大学に行って「教育困難校」卒業の学歴をロンダリングしたほうがよいと思われる生徒もいる。このような生徒は、なぜか自分に自信がなく、大学に行こうとしない。そこで、「大学は高校より自由で楽しい」「好きな勉強ができる」「将来の就職のためにも行ったほうがよい」と言った定番の甘言で、大学進学に向かわせようとするのも教員のもう1つの仕事だ。

筆者が教えるあまり学力の高くない大学に通う1年生に、「入学以前に大学はどのようなところと思っていたか」を尋ねたアンケートで、印象的な回答があった。「親からも先生からも、大学はいいところだ、自由で楽しいところだと言われた。だから、ディズニーランドみたいな面白いところだと思っていた。こんなに勉強させられるところだと思っていなかった」とあったのだ。この学生のだまされたという思いが払拭されるような4年間であることを祈るしかない。いずれにせよ、自分の周囲に大学にかかわる者・モノがまったくなかった「教育困難校」の生徒にとっては、大学はまさに未知の世界、ワンダーランドなのだろう。

それぞれの立場の人たちが持つ大学観は平行線をたどりつつも、大学受験のスケジュールは進んでいく。どこの「教育困難校」でも、年末のこの時期には今年の大学受験はほぼ終了している。ほぼ全員がAO入試、推薦入試で進学するからだ。あとは、これまで進路を決められず、大学進学と言い出す生徒の指導を残すのみだ。来学期は「落ち穂拾い」の時期になる。

朝比奈 なを 教育ジャーナリスト

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あさひな なを / Nao Asahina

筑波大学大学院教育研究科修了。教育学修士。公立高校の地歴・公民科教諭として約20年間勤務し、教科指導、進路指導、高大接続を研究テーマとする。早期退職後、大学非常勤講師、公立教育センターでの教育相談、高校生・保護者対象の講演等幅広い教育活動に従事。おもな著書に『置き去りにされた高校生たち』(学事出版)、『ルポ教育困難校』『教員という仕事』(ともに朝日新書)などがある。

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