「学習困難」な生徒が、あえて大学に行く理由

低偏差値高校の実績作りに利用されている?

一方、一般の教員からは「大したことのない大学に行っても何もならない」と、大学進学率の向上に消極的な発言が聞こえてくる。また、「どうせ、うちの高校の生徒は、大学に行っても勉強についていけずやめてしまうのがオチだ」といった言葉も耳にする。これらの発言は一部正論ではあるが、最近の大学事情に通じていないことを露呈しているものでもある。

少子化への危機感は大学も同様だ。そこで、近年は生き残りを懸けて教育内容の改革を進めている。特に、「大したことのない」大学では、能力が十分でない学生のサポートに力を入れる試みが増えている。一昔前にはなかった学習支援室やラーニングセンターが設けられ、また授業や補習でも、足りない学力を身に付けさせる努力が行われている。「大したことのない」大学も、入ってきた学生の能力を伸ばそうと努力しているのだ。実際に入学してきた学生の能力や学習習慣をしっかりと把握し、そこから社会で必要とされるレベルまで能力を育成・伸長し、高い評価を得ている大学も出現し始めている。

しかし、「大したことのない大学」の中にも教職員が旧態依然とした体質で、学生に真剣かつ丁寧に向き合わない大学も存在する。その大学関係者がどれだけ自分が勤務する大学の社会的使命を認識しているかが、大学の教育の質に影響を及ぼすのだと感じる。「大したことのない大学」と十把一からげに切り捨てず、学生の能力を伸ばそうと努力している大学を見分け、その情報を生徒に紹介するのが、高校教員の本来の役目だろう。

「国公立大学に入れる」という親の幻想

さらに、「大したことのない大学」という言葉には、学校生活を優等生で過ごし、教員となった者が「教育困難校」の生徒を見下す、驕りのようなものも透けて見える。筆者が「教育困難校」に勤務していた際、2次募集で不本意入学してきた、非常に能力の高い男子生徒がいた。周囲の雰囲気に流されることもなく、期待する教員のアドバイスにも素直に従った彼は、AO入試制度に助けられ、かなり知名度のある大学に合格した。すると、教員の中から「自分が現役受験のとき不合格になった大学に、この学校の生徒が合格して悔しい」という言葉が聞こえてきた。声に出さないまでも、同様の思いをしていた教員がそうとういることは、当時、強く感じられた。一般的な教員にとって、大学は自分自身のプライドであり、これだけ大学教育の中身が変わっても、いまだにアカデミックな場という思いが強いのだろう。

また、「教育困難校」の保護者から必ず聞かれるのは、「うちはおカネがないから国公立大学に行ってもらいたい」という言葉である。この言葉から、彼らがいかに大学や受験のことを知らないかがわかる。国公立大学に入れるのは進学校に通う高校生の中でも、ごく一部である。近年では多様な入試制度をうまく利用して、農業や工業などの専門高校から入学する例もあるが、「教育困難校」からは絶対に合格できない。

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