「治療をしない医療」を医療と呼んでいいのか 終末期には「患者の生きる力を邪魔しない」
香山:すごいですね。積極的な治療をしないことについては、ご家族も納得してらっしゃる?
南:はい。過剰な延命治療をしない方針を受け入れた方が、入ってこられるので。
香山:私もそこで看取られたい(笑)。
南:一度、ぜひ見学にいらしてください。
どうしても治療したいのが医者の心理
南:医師になって、多くの患者さんの死に立ち合うなかで、医師がよかれと思って行う積極的な投薬や痛みを伴う治療が、患者さんの「あとはもう、優しくしてくれるだけでいいのに」という気持ちと乖離しているのではないかと感じることが、たびたびありました。
いま勤務している病院は、人生の残りの日々を、患者さんに笑顔で過ごしていただくというのが、モットーなんです。
ここに勤務して9年になりますが、それまでの「とにかく病気を治そう!」という急性期病院の考え方とは違う、患者さんやご家族の体力や気持ちを考えて最適の策を探していく、新しい医療のあり方を学びました。
香山:でも、どうしても、治療をしたくなってしまうのが医者の性でもありますよね。医学部の学生時代から現在に至るまで、いろいろ勉強してきたものを“やらない”方向で選択するのは、医者の心理として、難しくないですか?
たとえば精神科領域で言うと、最近、抗うつ薬はあまり効かないというエビデンスが出てきています。また、多剤処方は診療報酬をカットされるなど、無駄な薬を使わない医療を目指す動きが大きくなりつつあります。私もその方針には賛成なんです。
自分もだんだん歳を取ってきて、精神科医が患者さんにやってあげられることって実はものすごく少なくて、患者さんが自力で治る邪魔をしないことが医者にできる精いっぱいのことじゃないかと、実感するようにもなりましたし。
でも、そう考える半面で、「そんなことはしょせんきれい事じゃないか」という思いもあります。私のような怠け者のドクターでさえ、意外とアグレッシブな面があって、製薬会社から「こんな新薬が出ます」と案内が来たり、うつ病の患者さんに磁気で刺激を与える新しい治療法を知ったりすると、患者さんのためには、やっぱりそういった最新のものを取り入れるべきなんじゃないかと思ってしまうんです。それをあえて「やらない」と選択することは、難しくないでしょうか?