「ジプシー」が見つめるヨーロッパ難民危機 「バルカンルート」に漂う難民たち<中編>
なぜアジアの故国を出て、西への旅を続けたのかは不明。ただ、ヨーロッパ全域に広がったロマは、その土地の宗教を受け入れ、その土地の言語を使いこなし、それぞれの土地に居場所を作っていった。だから、ロマにはカソリックもプロテスタントもムスリムもいる。
それでも彼らはヨーロッパのどこに行っても嫌われ者だ。社会的、制度的な差別もあり、失業率も高い。しかし逆説的だが、その嫌われ方の定着ぶりを見ていると、長い年月をかけロマはそれぞれの場所で、それぞれがもうヨーロッパの一部になっているとも思える。
「シュカール・アカテ(ここはすばらしい)。ロム・ブート(ロマの人たちが大勢いるからね)」
そうロマニー語で話すロマの男にシュトオリザリで会った。彼は難民としてドイツに行って、家族と住んでいたことがあるという。キリスト教徒でドイツ語も堪能だった。
それでもロマは迫害される
最近ドイツから戻ったという男は、自身の経験をふまえ、欧州で目の当たりにするロマと中東難民の現実を話す。
「数が少ないうちはいいんですよ。ヨーロッパの人は難民か移民か関係なく、結局は異質な存在のわれわれを受け入れません。これだけ長くそばに住んでいるのにロマは迫害されます。中東難民がイスラム教徒ならなおさらです。多数になって脅威になれば排除します」
ばらばらだった中東の難民や移民が、「イスラムの塊」となって見え感じたとき、「ひとつの欧州」は別の顔を彼らに向け始めたのだった。
(写真:すべて著者撮影)
※(下)に続く
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