この絵は「キリギリス」と判読する。クモの巣にかかる2本の棒状の物は、共に「キリ」であり、濁点のつく左は「ギリ」となる。背景にあるのは巣(ス)であり、合体すれば「キリギリス」と読める。
一方、(2)の解答は一筋縄ではいかない。先に示した医師の能力・資質であれば、④の研鑽能力、⑨の公共心・公共性が問われていると推測できる。そのうえで、本質的な思考力や広範な知識が要求されていると考えられる。
クモの巣から愛を語る
たとえば、キリの持つ性質に着目し、両手で丹念にキリをもみ込む行為と「愛」との関連性を論じるなどのアプローチが可能である。両手でキリをもみ続ければ、ぶ厚い木片にもいずれ穴が開くのである。まるで人の心に穴を開けるようではないか。
また、クモの巣に関しては、「カバキコマチグモ」というクモの一種の、母グモの生態から描写することが可能である。この種のメスは、子グモをたくさん産んだ後、子グモに自らの体を食べさせるという。子供たちに自らを食べ尽くされた母グモは死ぬが、多数の子グモたちは、その後、巣にかかる獲物を待ち続けてそれを捕食し、生き抜いていくのである。そして、子グモたちの一部も、いずれ同じ運命をたどる。母グモの奉仕的な愛は「究極の愛」と称されるが、このように別の観点から「愛」について描写することもできると思う。
それでは、医学部入試でこのような難問・奇問が出題されるのはなぜなのだろうか。(2)の問題では、受験生の「研鑽能力」と「公共心・公共性」が問われていると考えるが、これは、目まぐるしく進歩する医学知識の修得が、医師に求められていること、医師の職業の本質である医学・医療の目的が、「国民の生命の保護と健康の増進」であること、などを考慮すると、問われる理由がおのずと見えてこよう。
わかりにくいのは(1)の推理能力だが、医師の職業が患者の症状、所見から患者の抱える病が何であるかを推理するなりわいであることを考えれば、ピンとくるだろう。過去に体験した印象に残る話をここに紹介しよう。
かつての私の教え子に、36度強の微熱が長い間続いていた受験生がいた。私は大学病院へ行って精密検査をするように勧めたが、彼はとりあえず町医者で診察してもらった。
だが、原因はなかなか判明しないまま、数カ月が過ぎた。それでもあまりに様子がおかしいので、大学の附属病院で大がかりな検査をした。そこで腎臓ガンだったと判明したときはすでに手遅れで、数年後には帰らぬ人となってしまった。
知人のベテラン医師によれば、腎臓ガンは推測するのが難しい病気なのだという。明らかな症状が現れたときにはすでに手遅れになっていることが多いというのだ。
すでに亡くなった人に対して「もしあのとき……」と考えるのは無益なことかもしれない。それでも、もし経験を積んだ医師が初期に病巣を見極めていたら、彼の命は助かったかもしれないという思いは、いまだ消えないでいる。
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