時は1980年代前半、ウォールストリートの金融業が隆盛し始めた時期だった。その華やかさに引かれていた同氏は、知り合いにウォールストリートにかかわりたいのならば、ハーバード大学でMBAを取ればいいと耳打ちされた。MBA取得後入社したのが、ゴールドマン・サックスだった。同社在籍中に携わったのは、敵対買収の防衛やレバレッジ・バイアウトなどで、その間に、2012年に共和党候補として大統領選に出馬したミット・ロムニーが創業したベイン・キャピタルともかかわったことがある。
その後、同僚数人とブティック投資会社、バノン社を立ち上げた。同社は、テレビや映画会社売買などメディア分野が専門で、当時としては他社が手掛けない新領域のため、引っ張りだこだった。巨額の富を得始めたのもこの時期で、ひょんなことからテレビ人気シリーズの『となりのサインフェルド』の放映権を手にしたのが大きかった。
極右主義者のカルト的存在に
さらに映画製作にも乗り出す。そのうちのひとつが、9・11のワールド・トレードセンター攻撃に触発されたドキュメンタリー『Face of Evil(悪魔の顔)』だ。この頃から政治的な関心も高まっていった。さらに製作した映画には、共和党のティーパーティ派を讃える内容のものや、金融危機の原因を探ったものがあり、また2008年の大統領選で共和党の副大統領候補として破れたサラ・ペイリンの「名誉挽回」を目的に製作されたものもある。
そうした中で、ブライトバート・ニュースを創業したアンドリュー・ブライトバートに出会う。ブライトバートは、保守派政治メディア「ドラッジ・レポート」の創設者であるマット・ドラッジの下で働き、「ハフィントン・ポスト」の立ち上げにも手を貸した人物だ。当時バノンは、ブライトバートをアンチ知性派で、彼が目指すのは「右寄りのポピュリスト、アンチ・エスタブリッシュメント派のニュースサイト」だと説明している。
ブライトバート・ニュースには2007年の創業時からかかわり、2012年にブライバート氏の急死後、会長としてかかわるようになる。バノンの指揮の下、ブライトバート・ニュースは極右の読者にとってはカルト的なメディアとなり、トランプの選挙活動中はプロパガンダ・メディアのような役割を果たしたのである。
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