サントリーホールは何が革新的だったのか 日本のクラシック音楽の歴史を変えた

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まずは「レセプショニスト」と呼ばれる接客係の存在だ。これまでのホールでは、クラシックファンの間で「もぎりのおばちゃん」などと愛着を込めて呼ばれたご婦人方が、ホール入口でチケットの半券をもぎるだけだった。ところが、サントリーホールに登場したのは、キャビンアテンダントばりのそろいの制服を身に着けた女性たち。柔らかい物腰と丁寧な受け答えで聴衆を迎え入れ、席に案内する姿は、高級ホテルでのおもてなしのようだった。これは、サントリーの工場や各種イベント等で接客業務を行っている「サントリーパブリシティサービス株式会社」の存在があっての賜物。この会社は1983年に誕生している。

ホールの入り口で「いらっしゃいませ」と迎えられることが大きな話題となったことが思い出される。そしてこのサービススタイルは以後多くのホールで採用されることになる。

さらには、コンサートの前や休憩時間にお酒を楽しむ習慣も、サントリーホール以前にはなかったことだ。これによってホールは単にコンサートを楽しむためだけの場所ではなく、社交の場所にもなった。必然的におしゃれをして来場する人が増えたことも、これまでにない新鮮な出来事だった。

結果として、「コンサートはサントリーホールで楽しみたい」、あるいは「サントリーホールのスケジュールの中からコンサートを選びたい」というファンが増え、これまたオリジナルで開発した「コンサートカレンダー」が大きく機能することとなる。

そして何より印象的だったのが、30年前のホールオープン当時は、現在最寄りとなっている溜池山王駅や六本木一丁目駅もなく徒歩での来場が不便極まりない状況であったにもかかわらず、多くのファンがサントリーホールでコンサートを聴きたがったこと。振り返ってみると、“ホールが人を呼ぶ”という事実こそがまったく新しい時代の到来を感じさせる出来事だったように思えてくる。まさにコンサートを楽しむ新しいスタイルの誕生だ。

企業イメージの象徴であるサントリーホール

さて、これほど評価の高い文化施設を運営するサントリー本体は、この30年の推移をどう見ているのだろうか。サントリーホール総支配人、市本徹雄氏にそのあたりの話を伺った。

市本氏は30年前、当時の社長でサントリーホール初代館長佐治敬三秘書を務めていた。以下、長くなるが、市本氏のコメントである。

私は、昨年の3月まではサントリー食品インターナショナルに在籍して広報やIRを手がけていました。海外におけるM&A等を通じてサントリーグループの中でも国際化の進んでいるこの会社では、所属している親会社が世間一般にとても評価の高い美術館やホールを持っている存在であることを知ってもらうための努力を続けていました。それが、“グローバルな一体感”を持つということにつながるからです。
サントリーホールディングスの新浪剛史社長も「ONE SUNTORY」を合言葉に、世界中のグループ社員が同じ方向に向かっていくことを示唆し、経営理念の共有化に力を注いでいます。そして、海外のグループ会社の担当者が来日した折には必ずサントリーホールに案内するという流れも出来つつあります。その意味でホールはとても役に立っていると言えるでしょう。ホールが経済的に儲かっているとかいないとかではなく、とても大きな力になっていることをサントリーグループ全体として認識していることは間違いありません。
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