舅姑が育てた息子からみた両親は、いつも朝は早くから畑に出て、夜は農作業小屋で野菜を束ねる仕事に明け暮れる働く姿でした。
時代が変わって孫からみた祖父母は、趣味程度に耕す畑仕事も、野菜の値が落ちると近所の人に「勝手に持って行ってや~」と収穫を放棄してブラブラ。そしてママはいつもヒマで、自分のおしゃれとお付き合いに励み、子供が帰って来たときにみせる姿はテレビのお守りをしている後ろ姿です。そんな嫁が口癖のように子供に「勉強しなさい、勉強しなさい」と言うもので、舅の不満は募るばかり。
“母親の愛情ある行動”に勝る教育は無し
実業家のロムニー家ほどならハウスキーパーにベビーシッター、家庭教師――と言う風に、いくらでも楽に子供を育てることも可能だったのに、夫人が「たいへんだった」と言うほどに直接育児に「専念」されたことに、私の関心は向きました。プロといえど母親に勝る愛情で接することは期待できないわけで、「たいへんだった」というほど育児にかかわられたロムニー夫人に共感を覚えたのです。
親の教育の多寡よりは、その品行や価値観が子供に及ぼす影響が大きいように経験から感じています。品行方正だった少年が、親譲りのヤクザのような姿勢やマナーで振る舞う青年になったのをみてガッカリしたのは、一度や二度の経験ではありません。
前述のお百姓さんも、「口先だけの説教よりは親の行いを見て子は育つ」ことが言いたかったのではないでしょうか。いちばん身近にいる母親の行動は子供の教育にとって、どんな学校や習い事に通わせるよりも、大切なのだと思います。
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