「駅ビル」の真実をどれだけ知っていますか この蘊蓄100章は思わず人に話したくなる

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21. 民衆駅第一号となったのは、1950年4月に開業した木造2階建ての国鉄「豊橋駅(愛知県)」である

22. 豊橋駅の駅舎1階には飲食店や理髪店などの民間店舗が、2階には市民出資による豊栄百貨店が入居した

23. 次いで池袋に「池袋西口民衆駅ビル」、翌’51年秋葉原に「アキハバラデパート」を併設した民衆駅が誕生

3階には総武線ホーム直結のデパート口があった(撮影:尾形文繁)

24. 当時の秋葉原は貨物駅や青果市場のある町で、日用品店や飲食店が入った便利な駅ビルは庶民に重宝された

25. アキハバラデパートは3階建てで、1階は電気街口に隣接。3階には総武線ホーム直結のデパート口があった

26. このデパート口改札から直接ホームに出入できるという構造は、国鉄の民衆駅の典型的なスタイルであった

27. その後、尾張一宮、門司、高円寺、西鹿児島、札幌、福井、富山駅……と日本全国に続々と民衆駅が誕生

28. 1950~60年代にかけて広がり続けた国鉄の民衆駅は、1973年開業の秋田駅まで66駅に上った

29. しかし駅舎内の商業施設が収益を上げても国鉄の収入は地代のみだったことから、1971年に政令を改訂

国鉄初の投資物件として「平塚駅」が完成

30. 以降、国鉄の事業範囲が広がり、1973年6月には神奈川県に国鉄初の投資物件として「平塚駅」が完成する

31. このとき生まれた駅ビル「ラスカ」は〈ふれあいのとき、味わいのとき〉をキャッチフレーズにいまも健在だ

32. 次いで国鉄は、名古屋駅、新宿駅、岡山駅、博多駅、小倉駅、札幌駅、仙台駅など主要駅をリニューアル

33. 1983年には大阪駅に「アクティ大阪」を開業。この頃から民衆駅の呼称は消え、駅ビルと呼ぶ時代に入った

34. しかし1987年、当時の中曽根康弘内閣の政治改革によって国鉄の民営化が決定する

35. 国鉄は「JR」として6地域の旅客鉄道会社とひとつの貨物鉄道会社になったが、駅ビル事業は継続された

36. 1970~80年代には都市部のみならず利用者の多い郊外でも駅舎と商業施設を一体化した再開発が行なわれた

37. 地方においても1971年に伊予鉄道・松山市駅に「いよてつそごう」がオープンするなど駅ビル事業が発展

38. 1990年~2000年代には、その都市を代表するような巨大建築物としての駅ビルも現われるようになった

超高層!名古屋駅の「JRセントラルタワーズ」(撮影:梅谷秀司)

39. 高層を誇るJR札幌駅の「JRタワー」は173m、東京駅の「グラントウキョウサウスタワー」は205m

40. 名古屋駅の「JRセントラルタワーズ」においては245mと、本来が駅舎であることを忘れてしまう超高層

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