田中角栄の何が多くの人々を惹きつけたのか 最もよく知る男が語る「限りなき人間的魅力」

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ある時、私と2人だけでやりましてね。私がまぐれ当たりでショートホールのグリーンの端っこにボールが乗ったら、自分が今まで1度も使ったことのないクラブを持って振り抜いた。すると、このボールがグリーンの旗が立っている穴の下2メートルぐらいにつけたんです。ワン・オン。ナイス・オンです。それを見て、10年以上も親方専門についているキャディさんがびっくりした。「あれ、乗った!」なんて叫んだ。そうしたら、私たちのほうを振り向いて、ニーッと笑いましてね。顔もポロシャツも首筋も汗がだらだら流れているのを拭こうともせず、走るように歩いていきました。

私がその後ろ姿を見て思ったのは、すさまじい闘争心です。自分より12も歳下でゴルフを始めて間もない下手くそがワン・オンした。「あいつに負けてたまるか。俺が負けるはずはない」。そう思ったのかどうか、それまで手にしたこともないクラブを持って、軽く2、3回、素振りをして見事に私をねじ伏せた。

この闘争心こそ貧しい家に生まれ育って、小学校高等科しか出ていない男を戦後日本の異能政治家、天下人にさせたエネルギーであったと思います。

もうひとつ、私は田中を「かわいいな」と思った。このプレーをしたのは、昭和59(1984)年の8月で親方が倒れる半年前でした。時に66歳。そのオッサンが家来に負けてたまるか、とムキになった。

稚気(ちき)愛すべし。この憎めない人柄が面倒見のよさを手伝って、周りに人垣をつくらせたと思います。懐が浅くて、脇の固い人間には他人様は寄ってきません。

「飾らない気質」が人々を惹きつける

あの人については、いろんなことを思い出しますけど、食べ物にまつわる面白いエピソードがたくさんあります。

たとえば昔、自民党の実力者だった保利(ほり)茂さんが亡くなって、選挙区の佐賀県唐津で胸像の除幕式があり、私が親方のお供をしました。

式が終わったあと、200年という歴史を持つ料理屋さんに田中が招かれましてね。県知事をはじめ、市長さんとか、保利さんの未亡人、ご令息の耕輔(こうすけ)さんとか、みんなで10人ぐらいの方が集まって歓待してもらいました。

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