敗戦後の原風景に見た、パチンコと「喪失」
もっとも、仮面ライダーやデコトラで国家を語られてはかなわないという向きも、より「成熟した大人」の世代にはあるだろう。しかし、それではかつての大人たちは本当に、こどもと異なる「真の成熟」を遂げていたのか。この点ではドナルド・リチー『イメージ・ファクトリー 日本・流行・文化』が参考になる。
リチーはGHQの進駐軍記者として終戦直後に来日、日本映画に惹かれて批評家となり、特に小津安二郎の魅力を米国に伝えたことでも知られる日本通の巨人だ。
2003年に原著の出た同書は、その後あまりにも変わってしまった現代日本を再び訪れての思いを綴った書物だが、そこにこんな記述がある。
敗戦後の日本人を熱狂させた娯楽にパチンコがあり、その騒音のけたたましさは一見、侘び寂びを重んずる日本の伝統とは正反対だ。
しかし、一対一で孤独に機械と向きあって玉を弾き続ける人々に、自分はむしろ完全に無意味な公案を、ただ一人頭の中でひねりながら座り続ける座禅に通ずるものを見る。
1945年の夏、それまで信じていたものを一挙に失う衝撃を味わった日本人にとって、パチンコ屋は束の間自己を滅却し、再生させるために求められた、寺院であり神社だったのだろう――。
ともあれ、日本人はそうして戦後を生き抜いた。そのあいだに軍艦マーチはかからなくなり、いまやAKB48や『新世紀エヴァンゲリオン』めあてでパチンコを打ちに行ける国になった。
それは、本当に単なる退行に過ぎなかったのか。改憲の発議が現実味を帯びてきたとされるいま、もう一度、考えなおしたい。
【初出:2013.5.13「週刊東洋経済(不動産二極化時代)」】
(担当者通信欄)
日本橋本石町の会社から徒歩数分、八重洲のパチンコ店の前を通りかかると、一押し銘柄と思われる台の旗やポスターが賑々しく目に入ってきます。ビジネスマンたちが自己を滅却する場だったりもするのだろうか、覗いてみてみたいところです。
本文中に取り上げられた書籍のうち、「平成仮面ライダー」に言及した2冊『リトル・ピープルの時代』『幼少の帝国』は、ともに東日本大震災を経た日本社会をミクロの視点、マクロの視点で考えていくうえでの示唆に富む本です。こちらもぜひあわせて。
さて、與那覇潤先生の「歴史になる一歩手前」最新記事は2013年6月3日(月)発売の「週刊東洋経済(特集は、マンション時限爆弾)」に掲載!
【「最先進国」としての韓国? 民主化後も続く「一君万民」】
橋下徹大阪市長の発言から、従軍慰安婦問題が、連日大きく報道されています。近年の日韓関係には常に歴史問題という緊張が存在してきましたが、ではここで、現在の歴史問題の原因が起こる前、併合以前の韓国に目を向けるとなにが見えるのでしょうか?現在の大統領制までを考察します。
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