<東京大学経済学部学生の関連コメント>
私の両親が取った教育方針は、ひとつやると決めたら最後までやり抜くことである。私は3歳から高校3年生までピアノを習っていた。小学5年生までは自宅近くのレッスンを受けていたが、その先生の引っ越しでレッスンを受けることができなくなった。そのため、両親は情報をかき集め自宅から1時間先にある先生のレッスンを受けさせるようにした。以上のように、両親のサポートのおかげで、ひとつのことをやり抜く力を養えたが、反面、つねに最後までやらせるというプレッシッシャーも強かった。
<東京大学大学院新領域創成科学研究科学生の関連コメント>
始めたことについては、どんなに嫌がっても、一定期間はやめさせてもらえませんでした。子どもが見える世界は小さいので、いろいろな選択肢を提示してあげて、選ばせることがいいと思います。また、子どもの自主性に任せて、定期的に成果報告させて、時には、アドバイスをあげる程度の干渉でいいと思います。
<グローバルエリートからのコメント>
初志がなければ、継続もしない
ここだけのはなし、初志貫徹の大切さに関する教育は、ほぼ受けなかった。というのも、すべての習い事を母親の強制によって始めたからで、初志というのがそもそもなかったから、継続しなかったのだと思う。
自分で始めたことと言えば、金魚や熱帯魚の飼育、イグアナやカエル、亀、シベリアンハスキーの飼育くらいだ。たしかにこれらは自分で始めただけに、社会人になって海外往復が増えてペットを飼えなくなるまで、必死に熱帯魚屋さんに通って週末は水替えに勤しんでいたし、友達からよく熱帯魚の飼い方の指導を請われたものである。やはり、子供が興味のある分野を見つける手助けをして、あとはひたすら打ち込ませるのが一つの分野で秀でる子供に育てる秘訣であろう。
なお、父親との議論というのはほぼ成立せず、怒鳴り散らされて終わっていた。“力強い人と議論しても無駄”という虚無的なスタンスが子供時代にしみ付いてしまった気がする。
最後に関連コメントの学生さんに関してだが、プレッシッシャーという、いかにもプレッシャーを受けてそうな誤字に笑ってしまった。ミセス・パンプキン、あとはよろしく。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら